岸田 行倫(きしだ・ゆきのり)

1996年10月10日生まれ。兵庫県川西市出身。右投げ右打ち。身長176cm、体重80kg。明るい性格であり、チームのムードメーカーとして試合前の円陣ではユニークな小道具を駆使して笑いを誘うことから、「円陣番長」と呼ばれている。年始のおみくじが好きで何回か引いてしまう。じっとしているのが苦手であまり映画は見ない。

二塁送球1秒8の強肩と、広角に打ち分ける打撃技術とパンチ力が武器。一方でブロッキングなどに課題があるとされる。

幼稚園年少(4歳)から野球を始める。

小学校時代は少年野球チーム「加茂ブレーブス」に所属した。チームのOBには地元・兵庫県川西市出身のプロ野球選手である古田敦也がいる。また、岸田の父である辰則は川西明峰高校時代に捕手としてプレーしていたが、1学年下から入学してきた古田にレギュラーを奪われている。

川西南中時代は兵庫タイガースに所属し、内野手を務めた。

報徳学園高校では1年から内野手としてベンチ入り。遊撃手の他に投手も務めた。新チームとなった2年秋には捕手が手薄なチーム事情から捕手に転向。2年春、3年春の甲子園に出場し、4番・捕手で出場した3年春の1回戦・沖縄尚学戦では1点リードされた5回途中から2番手でマウンドに上がり4回1/3を1安打無失点6奪三振と好救援している。試合こそ0対1で敗れたが、最速145km/hを記録した。また、3年夏は高校日本代表に選出され、U-18アジア選手権では捕手に栗原陵矢がいたため主に一塁手として出場し、日本代表の3番打者として準優勝に貢献。この時のクリーンナップは4番・岡本和真、5番・香月一也で、いずれも後に巨人でチームメイトとなった。

高校卒業後は大阪ガスに入社。野球部では1年目から正捕手を務め、2015年、16年の日本選手権で2年連続4強入りに貢献。地元阪神やソフトバンク、楽天も高評価していたが、2017年度のNPBドラフト会議で読売ジャイアンツから2位指名を受け、契約金7,000万円、年俸1,200万円で入団。担当スカウトは益田明典。入団の際には打てる捕手でかつ同郷出身の古田氏を目標に掲げた。

プロ入り1年目となる2018年は春季キャンプから一軍スタート。ただ負傷離脱し、復帰後は主に二軍戦でマスクをかぶった。同年7月には大阪ガス時代に知り合った一般女性と結婚した。シーズン終盤の9月30日には初の一軍昇格。ただ、出場機会は無く、登録を抹消されている。それでも二軍では51試合に出場し、打率.256、3本塁打、28打点を記録。オフには、120万円減の推定年俸1,080万円で契約を更改した。

2019年は開幕二軍スタート。6月4日に一軍登録されるも、試合に出場する機会がないまま6月9日に登録抹消。その後は炭谷銀仁朗の戦線離脱から8月2日に一軍に再登録されると8月3日の横浜戦に途中出場によって一軍デビューし、翌8月4日には自身初の一軍スタメン出場。結局、シーズン通算では4試合の出場で7打数0安打にとどまった。オフには20万円増の年俸1,100万円で契約を更改した。

2020年は開幕二軍スタートとなったものの、開幕3戦目の6月21日に小林誠司が左尺骨を骨折したため、6月23日に小林と入れ替わる形で出場登録。6月27日のヤクルト戦では代打として長谷川宙輝からプロ初安打初打点を記録。更に10月31日のヤクルト戦ではまたしても長谷川宙輝から初本塁打を放ち、チームメイトからはサイレントトリートメントで祝福された。この年は小林の長期離脱によって、大城卓三、炭谷銀仁朗に次ぐ第3捕手として34試合に出場し、打数43と少ないながらも打率.302を記録。オフには、400万円増の推定年俸1,500万円で契約を更改した。

2021年も開幕二軍スタートだったが、開幕から程なくした4月7日に小林との入れ替わりで一軍昇格[18]。しかし、大城、炭谷に次ぐ第3捕手という立場上、約2か月間、出場機会に全く恵まれなかった[19]。そのまま、6月2日に小林が再度昇格したことに伴い、4日に登録を抹消された[20]。

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