田中 俊太(たなか・しゅんた)

1993年8月18日生まれ。神奈川県厚木市出身。右投げ左打ち。身長178cm、体重82kg。兄は広島東洋カープに所属する田中広輔。ちなみに5人兄弟で男三人のうちでは三男。好きな味付けはポン酢。

二塁を中心に内外野全ポジションをこなすユーティリティープレイヤー。俊足を誇り、アマチュア時代には50メートル走で6秒0を記録している他、プロでも高い盗塁成功率を誇る。打撃では長打は多くないが粘り強く、選球眼に優れていうことから出塁率は高い。

幼少期は少年野球の活動で当時横浜ベイスターズのファームチームであった湘南シーレックスの試合の手伝いをしていた。その際、内川聖一から声をかけられることがあり、プロ入り後に日本シリーズで再会している。

幼少期から兄を追いかけて野球を始め、小学時代は父が監督を務めるボーイズリーグの「相模原イーグルス」でプレーした。同チームのOBには横尾俊建がいる。

東海大学付属相模高校では、2年生の2010年に第92回全国高等学校野球選手権大会で準優勝、3年生の2011年に第83回選抜高等学校野球大会で優勝を経験した。1学年上に一二三慎太、大城卓三が同期には菅野剛士、渡辺勝がいた。

高校卒業後は東海大学に進学し、2年秋から正二塁手に定着。3年生時の2014年に第63回全日本大学野球選手権大会で優勝を経験している。大学通算成績は69試合の出場で打率.325、本塁打2。

大学を卒業後は日立製作所に入社。同校の野球部では高校時代の同期である菅野剛士と再びチームメートになる。2016年夏の第87回都市対抗野球大会ではチーム初の決勝進出(準優勝)に貢献し、菅野とともに若獅子賞を受賞。2017年には社会人日本代表に選ばれ、同年のアジア野球選手権大会では二塁手として出場し、優勝メンバーとなった。

2017年のNPBドラフト会議で読売ジャイアンツに5巡目で指名され、契約金4,500万円、年俸800万円で入団。背番号は兄・広輔のプロ入り時と同じ「63」。プロ入りが決まった直後の11月には約4年半、交際を続けた元東海大相模高校のマネージャーの女性との結婚を発表している。

プロ入り1年目となる2018年は開幕を一軍で迎えると、3月30日の開幕戦である対阪神タイガース戦(東京ドーム)に代打としてプロ初出場。ランディ・メッセンジャー相手に初打席初安打を記録した。また、6月2日の対オリックス・バファローズ戦(京セラドーム大阪)で2番・二塁手として初先発出場すると、1試合5出塁をマーク。9月11日の東京ヤクルトスワローズ戦(東京ドーム)では小川泰弘からプロ初本塁打を記録した。前半戦に二塁手として出場することの多かった吉川尚輝が8月1日に故障離脱したこともあり、シーズン後半にはレギュラーを務め、最終的に99試合に出場し、打率.241、2本塁打、12打点、6盗塁を記録。オフには800万円増となる推定年俸1,600万円で契約を更改。2019年からは背番号が「51」となった。

2019年は開幕戦となった広島戦に7番・三塁手で出場。当初はクリスチャン・ビヤヌエバと併用されるが、吉川尚の離脱により再び二塁手として起用された。しかし自身の不調や、若林晃弘、山本泰寛の活躍もあり前年ほど一軍での出場機会は得られず62試合の出場で打率は.224、盗塁2、本塁打4に終わった。オフには200万円増の推定年俸1,800万円で契約を更改している。

新型コロナウイルスの影響で開幕が遅れた2020年は開幕を一軍で迎えたが、楽天から移籍加入したゼラス・ウィーラーと入れ替わる形で6月29日に出場登録を抹消]。8月12日に再登録されるも、代打で結果を残せず、8月16日に再び登録抹消された。その後は9月13日に再登録されると、9月は打率.467(15打数7安打)と結果を残している。ただ、最終的にはプロ入り最少となる48試合出場にとどまり、打率.265、本塁打1、打点6を記録。福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズには、4試合すべてに出場している。オフには100万円減の推定年俸1,700万円で契約を更改した。また、12月18日に梶谷隆幸がフリーエージェント権を行使して読売ジャイアンツに移籍したことに伴い、人的補償として横浜DeNAベイスターズに移籍することが両球団より発表された。背番号は38。移籍が決定すると、巨人監督の原辰徳や兄の田中広輔から電話で激励を受けたという。

2021年は開幕を一軍で迎え、開幕戦となった3月26日の読売ジャイアンツ戦では3安打を打ち、セ・リーグ新記録となる開幕戦6打点の活躍を見せる。ただ、その後は出場機会を減らし、打率.163(43打数7安打)、0本塁打、8打点と結果を残せず6月21日に登録抹消。6月27日のイースタン・巨人戦では横川凱の球が左手に当たり(判定はファールボール)、打席途中で交代した結果、同月29日に「左母指基節骨骨折に伴うピンニング手術」を受けることとなった。

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