岩田 将貴(いわた・まさき)

1998年6月16日生まれ。福岡県福岡市出身。左投げ左打ち。身長178cm、体重83kg。趣味はユーチューブで「1万円企画」を見ること。

背中をひねった後に身体を沈めこみ、右足を左打者の側へ大きく踏み出す変則サイドスロー。最速139km/hのストレートと7種類のスライダーを投げ分け、制球は安定している。左打者へは外の出し入れで、右打者へはクロスファイヤーとチェンジアップの横の幅で勝負する。トルネード気味の身体をひねる投球フォームは2013年にボーイズリーグ日本選抜チームの一員としてロサンゼルスへ遠征した際にチームの代表だった野茂英雄からアドバイスを受けたという。

兄の影響で福岡市立吉塚小学校1年時に「吉塚クリッパーズ」に入団し、ソフトボールを始める。ポジションは主に一塁だった。

福岡市立吉塚中学校時代には「福岡ボーイズ」で硬式野球に転向し、投手を始める。ただ、1年時はソフトボールから転向したばかりで制球が定まらなかったため、当時の投手コーチの薦めでサイドスローにフォームを変更した。3年時には野茂英雄率いるジュニア選抜チーム「NOMOジャパン」に選出された。NOMOジャパンの同期に高山優希、藤嶋健人がいた。

高校は九産大九州高校へ進学。同校では1年夏からベンチ入りすると1年秋には背番号1を着けた。また、秋の公式戦では14試合12完投4完封、防御率1.80の活躍で福岡県大会優勝と九州大会ベスト4に貢献。2年春には甲子園に出場し、初戦の近江高校戦に先発するも8回2失点で敗戦投手となった。2年夏は福岡大会3回戦の福岡大大濠高校戦で浜地真澄に本塁打を打たれるなど2失点し、チームは浜地の前に3安打完封負けを喫した。3年夏は福岡大会4回戦で八女工業高校に敗れている。

高校卒業後は九州産業大学へ進学。同校では1年春からリーグ戦に登板し、秋には8試合に登板して1勝2敗、防御率3.32の成績で新人賞のタイトルを獲得。2年春に防御率1.44、リーグ最多の7勝を挙げてMVPを獲得。しかし、同リーグ戦で左肘を痛め、同年の全日本大学野球選手権に出場するも状態は上がらず、8月に左肘の遊離軟骨除去手術を受けた。その後は3年春のリーグ戦で復帰するが、同年8月に2度目の手術となる左肘のトミー・ジョン手術を受けた。復帰は4年秋のリーグ戦となり、10月24日の九州共立大学戦では2番手で登板し、2回2/3を無安打無失点に抑えて優勝を決めて胴上げ投手となった。九州大学野球選手権では決勝の日本文理大学戦で7回一死二塁から登板。後続2人を抑えてチームは2-1で優勝を決めている。3学年上に井手亮太郎、1学年上に福森耀真、石田駿がいた。

2020年度のNPB育成ドラフト会議で阪神タイガースから1巡目で指名され、支度金200万円、年俸300万円で契約。背番号は122。この年までアマスカウトとして九州地区を10年間担当してきた田中秀太がスカウティングや入団交渉を最後に手掛けた選手となった。

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