大田 泰示(おおた・たいし)

1990年6月9日 生まれ。広島県福山市出身。右投げ右打ち。身長188cm、体重96kg。趣味は釣り。ブラックバス釣りを好んでいたが、北海道にはブラックバスがいないため、ブラックバス釣りはできなかった。サラサラの髪質が特徴。

身体能力が高く、俊足、強肩を活かした外野守備も魅力。ただ、盗塁は成功率が低く、企図数も少ない。打撃はやや打球に角度が付きにくく、パワーの割に本塁打が増えない傾向がある。また、引っ張りで強烈な打球を飛ばすことから併殺打も多い。2018年は両リーグの右翼手で2位となるUZR13.3を記録している。

広島県立三次高等学校で投手を務めていた父の影響から福山市立川口小学校1年時にソフトボールを始める。5年からは軟式野球クラブの鞆古城クラブでプレーした。

福山市立城南中学校在学中は2年時に秋の県大会で優勝。中学時代の所属クラブであった松永ヤンキースには上本崇司がおり、2年時は三遊間、3年時はバッテリー(大田が投手)を組んでいた。また、3年時に元プロ野球選手が指導する野球教室に参加し、原辰徳からスイングを褒められたことで原の母校である東海大相模高等学校への進学を決める。

東海大相模高校では1年春から三塁手としてベンチ入り。1年秋には4番に座り、2年秋からは主将を務めた。その後は3年春に遊撃手に転向し、3年夏の第90回全国高等学校野球選手権北神奈川大会決勝では大会新記録となる5本目の本塁打を記録。甲子園出場は果たせなかったものの、高校通算本塁打65本(うち満塁本塁打5本)、投手として最速147km/hの地肩の強さ、そして大型遊撃手であることからドラフト上位指名候補として注目を集めた。高校の1学年先輩に菅野智之、田中広輔がいた。当初は東海大学への進学を表明していたが、プロ志望届提出期限日にプロ志望届を提出した。

2008年度のNPBドラフト会議にて読売ジャイアンツと福岡ソフトバンクホークスの2球団から1位指名を受け、抽選の結果、巨人が交渉権を獲得。契約金1億円、年俸1,200万円(金額は推定)で契約した。背番号は松井秀喜のメジャーリーグ移籍以来「準永久欠番扱い」となっていた「55」。選手寮では松井や坂本勇人らが使った部屋に入居した。

プロ入り1年目となる2009年は3月20日のイースタン・リーグ開幕戦に「3番・三塁手」としてスタメン出場。フェンス直撃の適時二塁打を打ち、公式戦初打点を記録した。また、4月24日の湘南シーレックス戦で公式戦初本塁打を記録している。すると6月17日に初の一軍昇格。6月21日の千葉ロッテマリーンズ戦では代打として初打席に立ったが、ブライアン・シコースキーの前に三球で空振り三振に倒れた。以降は二軍でプレーし、ファームでは101試合に出場。打率.238、17本塁打、56打点、16盗塁の成績を残した。

2010年は6月12日と13日の福岡ソフトバンクホークス戦に「8番・一塁手」で先発出場。ただ、計6打数で無安打に終わった。一軍での出場はこの2試合に留まる一方でイースタン・リーグでは101試合に出場。打率.265、本塁打21、打点70をマークして本塁打と打点はリーグ2位の記録となった。オフには第17回IBAFインターコンチネンタルカップの日本代表に選ばれた。

2011年も開幕を二軍で迎えるが、5月16日に一軍昇格。5月18日の楽天戦では延長10回一死満塁の場面でプロ初安打を打ち、これが決勝の2点適時打となった。しかし、守備面の不安に加えて28打席で4安打、9三振と打撃で結果を残せず。より打撃に専念するため、6月以降は二軍で外野手としてプレーした。一軍では12試合の出場に終わったが、イースタン・リーグでは105試合に出場。打率.254、本塁打6で三振はリーグ最多の109を数えた。一方で盗塁数はリーグ2位の28を記録(盗塁死はリーグ最多の15)している。秋季キャンプでは外野手へのコンバートが正式に決まった。

2012年は年始に阿部慎之助や長野久義らと共にグアムで自主トレを行い、春季キャンプから一軍に帯同。オープン戦では21打席連続無安打など絶不調ながら外野の一角として起用され、自身初の開幕一軍入りを果たした。しかし、開幕後も調子は上がらずに4月10日に二軍降格。再昇格は9月1日となり、同日のDeNA戦に「7番・一塁手」でスタメン出場。先制適時打を含む3打点、自身初の猛打賞の活躍でお立ち台に上がった。9月23日のヤクルト戦では山本哲哉かラプロ第1号本塁打を記録すると、9月25日の広島東洋カープ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)でもバックスクリーン左に2試合連続本塁打を放った。また、リーグ終盤戦では中堅手などで17試合にスタメン出場。最終的に21試合に出場して70打席に立ち、打率.254、OPS.773、2本塁打、7打点を記録した。しかし、CS、日本シリーズではベンチから外れている。11月からはアジア・ウィンター・リーグに参加し、3本塁打、OPS.980を記録した。

プロ入り5年目となる2013年は2年連続で開幕一軍入り。ただ、同じ外野手の橋本到や亀井善行らが優先的に起用され、5月2日には登録を抹消され、以降はほぼ二軍でシーズンを終えた。この年は2年続けて一軍では21試合の出場に終わり、38打席で打率.161、0本塁打、OPS.411。10月5日には自転車で転倒して負傷し、教育リーグの遠征メンバーからも外れている。更にこの年も二軍での三振数が減らず、4年連続で二軍の三振王となっている。オフには背番号が「44」へ変更されたほか、後には背番号55をはく奪された時の心境や「55を返せ・付けるな」と言われたことがあると語っている。

2014年は開幕を二軍で迎え、一軍昇格は5月9日となった。ただ、結果を残せず、5月18日には登録を抹消。その後しばらくは一軍昇格がなかったが、8月8日に再び一軍へ昇格した。その後は主に守備固め・代走要員として起用されていたが、9月17日の広島東洋カープとの首位攻防戦でシーズン第1号となる代打逆転2点本塁打をマーク。その後はスタメン起用される機会も増え、リーグ優勝翌日の9月27日には4番・中堅手で先発出場し、プロ入り後初めて4番に座った。4番打者としては巨人軍第81代目、平成生まれとしてはチーム史上初の出来事。この年は44試合に出場して74打席に立ち、打率.246、2本塁打、12打点、OPS.769、4盗塁(2盗塁死)を記録した。オフには「日本プロ野球80周年記念試合」の阪神・巨人連合チームに選出されている。また、12月24日に入籍している。

2015年は4月30日の中日戦で負傷の坂本に代わり4番に座ると、3安打猛打賞でお立ち台に上がる。更に5月13日の広島戦ではシーズン第1号本塁打を大瀬良大地から放つなど、シーズンを通じてほぼ一軍に帯同。最終的には60試合に出場し、138打席で36安打はいずれも自己最多、打率.277、OPS.673、1本塁打、3打点を記録した。

2016年は6月3日の試合で1番中堅として先発出場し、6月5日の北海道日本ハムファイターズ戦では大谷翔平から自身初の先頭打者本塁打を打った。しかしその後は1番打者でのスタメンも多かったが打撃好調を維持できず、二軍へ降格。62試合の出場で119打席に立ち、打率.202、4本塁打、OPS.604だった。するとオフの11月2日に吉川光夫・石川慎吾との交換トレードで公文克彦と共に北海道日本ハムファイターズへ移籍が決定。背番号は「33」となった。

日本ハム移籍1年目となる2017年は怪我の影響からシーズン開幕に出遅れたが、4月23日に一軍に昇格。すると4月29日の楽天戦で美馬学から移籍後初の本塁打、5月3日のロッテ戦では益田直也からプロ初のサヨナラ適時打を放った。更に5月12日のロッテ戦では涌井秀章から移籍後初の1試合2本塁打を記録。年間を通して左翼手のレギュラーとして起用され、プロ入り9年目にして初の規定打席に到達。シーズン通算では118試合に出場して457打席に立ち、打率.258、15本塁打、46打点、出塁率.302、5盗塁(2盗塁死)、OPS.719を記録した。

プロ入り10年目となる2018年はシーズン開幕を「7番・左翼手」で迎えたが、怪我から復帰した近藤健介が左翼を守ることもあったため、シーズン中は主に右翼手のレギュラーとして出場。4月24日のオリックス戦では「2番・右翼手」として出場し、金子千尋から2打席連続本塁打をマークした。ただ、7月8日のロッテ戦で田中靖洋から死球を受けて左手第5中手骨を骨折。9日に登録を抹消された。その後は8月25日に一軍に復帰している。シーズン通算では怪我での離脱もあり、出場試合数は104試合と前年よりも減ったものの、429打席で打率.274、14本塁打、59打点、出塁率.350、OPS.812を記録。オフには翌シーズンから背番号を「5」へ変更することが決まった。

2019年も前年に引き続き右翼手のレギュラーとして出場。自身の誕生日である6月9日の阪神タイガース戦では史上35人目となる全球団からの本塁打を記録している。また、これが自身にとっては通算本塁打49本目であり、50本塁打未満での記録の達成は2015年の大引啓次に次いで史上2人目となった。この年は自己最多となる132試合に出場し、594打席で打率.289、自身初の20本塁打、77打点、出塁率.325、OPS.776を記録。22併殺打はリーグワーストの数字も、多くの部門でキャリアハイを記録した。オフの契約更改では3,500万円アップの1億円でサインしている。

新型コロナウイルスの影響で短縮シーズンとなった2020年も右翼手のレギュラーとして120試合中115試合に出場。481打席に立ち、打撃成績は打率.275、14本塁打、68打点、出塁率.314、OPS.721と安定した成績を残した。また、守備においてもリーグ2位となる補殺7回を記録するなど活躍し、ゴールデングラブ賞を初受賞している。オフには3,000万円増の1億3,000万円で契約を更改した。

2021年も右翼手として開幕スタメン入りを果たしたが、開幕から59試合に出場して打率.212、3本塁打、17打点と打撃不振に苦しみ、6月25日に登録を抹消。その後は8月13日の後半戦開幕と共に一軍登録されたが、再昇格後も不振が続き、9月6日に再び登録を抹消された。そして11月16日には球団から保留手続きを行わないことが発表され、12月2日に自由契約となった。その後は12月14日に横浜DeNAベイスターズと契約を締結。推定年俸は5,000万円で背番号は前年まで中井大介が付けた「0」となった。

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