福 敬登(ふく・ひろと)

1992年6月16日生まれ。兵庫県神戸市垂水区出身。左投げ左打ち。身長181cm、体重98kg。骨太の体格でがに股気味の投球フォームが山本昌に似ていることからJR九州への入社当初のニックネームは「マサ」だった。

腕の出所が見えづらく、かつタイミングの取りにくい独特なフォーム。セットポジションで構え、右足を一塁側に大きく踏み出して構える。今のフォームは2019年シーズン中のセ・パ交流戦で和田毅や比嘉幹貴の投球を見学した末に和田のようにテイクバックを体に隠し、比嘉のように腕を下げて1足分インステップして投げるフォームになった。右打者に対してはインコースを厳しくつけるものの、左打者相手には課題を残す。

神戸市立小束山小学校で軟式野球を始める。

神戸市立多聞東中学校では同校の軟式野球部に所属していた。野球部の1年後輩には桜井俊貴がいた。

高校は市立神戸西高校へ進学。同校では県大会4回戦が最高成績だった。

高校卒業後はJR九州に入社。同社では小倉駅の駅員を務めていた。また、野球では1年目から公式戦で登板機会を与えられ、5年目の2015年には速球が最速150km/hを計測するようになった。

2015年度のNPBドラフト会議にて中日ドラゴンズから4位指名を受け、契約金5,000万円、年俸1,000万円で入団。入団の際には自身と同じ左投手でNPB一軍公式戦219勝という実績を残して現役を退いたばかりの山本昌から背番号34を継承することで注目された。

プロ入り1年目となる2016年は開幕から一軍登録され、開幕2試合目に中継ぎとして初登板。5月7日の対読売ジャイアンツ戦では緊急降板したドリュー・ネイラーの後を投げ、4回2/3を1失点にまとめて初勝利を挙げた。この年は1先発含む27試合に登板して43.1回を投げて31奪三振、WHIP1.38で1勝2敗4ホールド、防御率4.78の成績だった。

2017年は左肩を痛め、この影響で一軍公式戦では5試合の登板に終わった。また、オフの11月19日には左肩の治療へ専念する目的で支配下選手契約から育成契約へ移行が決定。推定年俸は300万円減の1,000万円となった。また、背番号も234へ変更されたが、球団としては福が支配下登録選手へ復帰するまでは34を空番として扱う方針を示した。

2018年は春季キャンプ開始前日の1月31日付でNPBから育成選手として公示された。シーズンでは昨年の左肩痛から6月5日の二軍戦で実戦復帰し、その後は二軍戦で登板を重ねて7月19日に支配下登録選手へ復帰。背番号は再度34となった。そして9月28日の対阪神タイガース戦、4回表二死満塁の場面で一軍復帰登板。ただ、この試合では制球が定まらず、ストレートの四球で押し出しを与えた。結局この年の一軍登板はこの1試合のみで「復帰しても、ストライクが入らないピッチャーを雇うわけがない」と福は戦力外通告を覚悟。それでもオフには推定年俸100万円減の900万円で契約を更改した。

2019年はオープン戦で結果を残せず、二軍で開幕を迎える。ただ、5月3日に一軍登録されると6月20日のセ・パ交流戦、対埼玉西武ライオンズ戦で相手打線を完全に抑え込んだことが自信につながり、この年のシーズン終盤にはセットアッパーを任されるようになった。最終的に自己最多の52試合に救援登板。52.2回を投げて53奪三振、WHIP1.03、2勝0敗、18ホールド、防御率2.05をマークした。契約更改では1,600万円増の推定年俸2,500万円でサインしている。

プロ入り5年目となり、新型コロナウイルスの影響で開幕が遅れ、短縮シーズンとなった2020年は勝ちパターンに定着。勝ちパターンは7回は祖父江大輔、8回を福、9回はライデル・マルティネスが担った。また、マルティネスが体幹コンディション不良により一軍登録を抹消となった後は祖父江と交互にクローザーを務めた。ただ、10月27日の阪神タイガース戦と10月31日の広島東洋カープ戦の連続で敗戦投手になるなど、終盤に打ち込まれる場面が目立った。最終的に53試合に登板して、50.2回を投げて39奪三振、WHIP1.30で5勝5敗25ホールド2セーブ、防御率3.55の成績を記録し、チームメイトの祖父江、東京ヤクルトスワローズの清水昇と共に、自身初となる最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得した。

2021年は自己最多登板を更新する57試合に救援登板。45.1回を投げて38奪三振、WHIP1.15で2勝2敗20ホールド、防御率3.18の成績だった。

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