三嶋 一輝(みしま・かずき)

1990年5月7日生まれ。福岡県福岡市西区出身。右投げ両打ち。身長175cm、体重80kg。実父は福岡大大濠高校硬式野球部の主将として甲子園球場の全国大会へ出場した経験を持つ。小学6年生で野球を始めて以来のスイッチヒッターで法政大学時代にはリーグ戦で左・右の両打席から長打を記録している。

ノーワインドアップからインステップ気味に踏み込むスリークォーターの投球フォーム。最速156km/hのフォーシームが武器。変化球は変化量が多く、横方向に鋭く曲がる130km/h台のスライダー、縦方向の落差が大きい120km/h台のスライダーを中心にカーブ、フォークボール、DeNA入団後の2015年から投げ始めたチェンジアップといった変化球も織り交ぜる。

福岡市立周船寺小学校6年時に少年野球チームで野球を始めるまではサッカーチームでボランチを務めていた。

福岡市立元岡中学校時代は同校の軟式野球部に所属。二塁手や三塁手をこなす控え投手も務めていたが、対外試合で四球を連発していたため、持ち前の強肩を買われて捕手へ転向した。

高校は私立の強豪校でのプレーを目指したが、小柄な体格(身長167cm・体重60kg)であったことから実父の助言で福岡工業高校へ進学。同校では1年秋から投手へ専念すると2年春からエースの座をつかんだ。また、3年春の九州大会では通算投球イニング34回で50奪三振(奪三振率13.24)を記録し、チームを初優勝に導いた。高校を通じて甲子園出場経験は無し。当時の同級生に中島卓也がいた。高校時代の最速は3年春にマークした147lm/h。

高校卒業後は法政大学へ進学。同校では東京六大学野球のリーグ戦に1年春からクローザーとして起用され、通算5試合(投球イニング7回)で3勝、9奪三振、無失点を記録してチームの優勝に大きく貢献した。また、優勝を受けて臨んだ第59回全日本大学野球選手権大会では日本文理大学との準決勝で先発に抜擢されたほか、先輩の二神一人・三上朋也などの活躍もあって優勝を経験している。その後は1年秋からは救援に専念。2年春にはオール救援で8試合に登板し、規定投球回に到達。通算投球イニング23回で自責点を1にとどめたことから防御率0.39で最優秀防御率のタイトルを獲得した。また、155km/hもこの時点で記録している。更に2年秋には加賀美希昇に次ぐ先発投手として3勝とリーグ5位の防御率2.20(5位)を記録。3年秋に救援へ再び専念すると大学日本代表候補にも選出され、世界選手権の強化合宿にも参加した。そしてエースとして迎えた4年春は右肘の違和感もあって1勝だけで春季リーグ戦を終えた。そして最後のシーズンであった4年秋のリーグ戦では投球イニング40回1/3で最優秀防御率(0.89)・最多勝利(4勝)・ベストナイン(投手部門)のタイトルを独占。在学中にはリーグ戦で通算54試合に登板し、投手として13勝8敗、202奪三振、防御率1.71、打者として打率.206(63打数13安打)、6打点を記録している。

2012年度のNPBドラフト会議で横浜DeNAベイスターズから2巡目で指名を受け、契約金8,000万円、年俸1,200万円で入団。背番号は17。

プロ入り1年目となる2013年は開幕から中継ぎ要員として一軍に帯同。5月から先発ローテーションに定着すると、6月2日の対北海道日本ハムファイターズ戦(旭川スタルヒン球場)でプロ初勝利をマークした。その後もローテーションを守り、オールスターゲームにはセ・リーグの監督推薦選手として初出場。DeNAの新人選手によるオールスターゲームへの出場は前身球団を含めても1974年の山下大輔以来、39年ぶりとなった。また、レギュラーシーズンでは二軍生活を一度も経験しないまま、22先発を含む34試合に登板。146.1回を投げて145奪三振、6勝9敗、WHIP1.48、防御率3.94で終えた。また、シーズン通算の奪三振率は8.92はセ・リーグの規定投球回に達したピッチャーでは最高だった。その一方で与四球率はリーグ規定投球回到達投手のワースト、被本塁打はワースト2位と課題も残している。シーズン終了後の11月には台湾で催された「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」に日本代表として出場。代表での初登板になった11月10日の最終戦では先発投手として台湾打線を4イニング無失点に抑えた。

2014年は一軍公式戦の開幕投手に抜擢されたが、東京ヤクルトスワローズとのセ・リーグ開幕戦(3月28日・神宮)で大学の1年後輩の西浦直亨に本塁打(NPB史上初の開幕戦一軍初打席・初球本塁打)を打たれるなど、1回裏だけで7失点。結局、2回9失点(自責点9)で敗戦投手になった。その後も4月25日の阪神戦(横浜スタジアム)で3回途中までに6点を失ってシーズン2敗目を記録するなどし、一軍に帯同したまま中継ぎに配置転換。しかし、それでも調子は上がらず、5月8日の読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)で2本塁打を打たれて3失点を喫した後にプロ入り後初めて出場選手登録を抹消された。その後は先発要員への復帰を目指して二軍で調整。DeNAの公式戦141試合目であった10月3日の対巨人戦(東京ドーム)で先発投手として一軍に復帰すると、5回3失点ながらこの年のセ・パ両リーグの開幕投手では最も遅いシーズン初勝利を挙げた。結局、一軍公式戦では5先発を含む8試合の登板で1勝2敗、WHIP2.29、防御率10.88に終わった。

2015年は2年連続の開幕投手起用はならなかったものの、開幕から一軍の先発ローテーションに定着。24歳最後の日であった5月6日の対ヤクルト戦(横浜)までに3勝を挙げた。しかし、6月中旬からおよそ2か月にわたって二軍で調整。8月中旬から一軍の先発ローテーションへ復帰したものの、一軍公式戦での登板は14先発含む20試合に留まり、88.0回を投げて67奪三振、5勝5敗、WHIP1.34、防御率4.81にとどまった。

2016年は入団以来初めてレギュラーシーズンの開幕を二軍で迎える。このシーズンは8月31日の対広島東洋カープ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)で先発投手としてシーズン初の一軍マウンドを経験すると、9月7日の対ヤクルト戦(横浜)で一軍でのシーズン唯一の勝利を挙げた。この年はイースタン・リーグ公式戦では18試合の登板でリーグの規定投球回へ到達し、リーグ3位の勝利数(8勝)と防御率(3.55)を記録。ただ、一軍では4先発に留まり、1勝1敗、WHIP1.33、防御率3.75の成績だった。また、チームがレギュラーシーズン2位で初めて臨んだクライマックスシリーズ(CS)では10月13日の広島とのファイナルステージ第2戦(マツダ)で先発に抜擢されたが、4回2/3を2失点という内容で敗戦投手となっている。

プロ入り5年目となる2017年は前年に続いてレギュラーシーズンを二軍でスタートする。また、6月8日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(Koboパーク宮城)では先発投手として一軍公式戦でのシーズン初登板を果たした。しかし、茂木栄五郎に初回先頭打者本塁打を打たれるなど、5回8失点の乱調で降板。翌6月9日に出場選手登録を抹消されると二軍で中継ぎ要員に転向。7月25日の対阪神戦から一軍公式戦15試合に救援で登板している。このシーズンは先発でも救援でも精彩を欠き、1先発含む16試合に登板。20.2回を投げて17奪三振、WHIP1.84、防御率6.53でプロ入り後初めて一軍で勝ち星を挙げられずにレギュラーシーズンを終えた。また、チームのレギュラーシーズン3位で2年連続で迎えたポストシーズンでは広島とのCSファイナルステージ第5戦(10月24日)で先発の石田健大が1回裏に2点を先制されると2回裏からの救援登板。2イニングを無失点に抑えた。チームは三嶋の登板中に逆転し、セ・リーグ優勝を果たした1998年以来、19年ぶりの日本シリーズ進出。三嶋自身も、この年のCS唯一の登板ながら前年のCSと同じマツダスタジアムのマウンドで広島から2年越しの白星を挙げた。また、1月に新潟県出身の一般女性と結婚している。

2018年はシーズン開幕から中継ぎ投手として登板を重ね、ワンポイントリリーフ、ロングリリーフ、セットアッパー、ビハインドの展開からの敗戦処理といった多彩な起用に答えた。結果、一軍公式戦60試合に全て救援で登板し、68.0回を投げて82奪三振、WHIP1.35、防御率3.97でチーム2位の7勝を記録。救援登板だけでの7勝はヤクルトの中尾輝と近藤一樹と並んでリーグ最多であった。また、入団以来一軍公式戦で記録していなかった故意四球についても、この年からNPBに導入された申告敬遠を監督のアレックス・ラミレスが積極的に用いたことから、セ・リーグ最多の7個を記録した。

2019年は前年に続いて救援陣の一角としてフルシーズン一軍に帯同。シーズン序盤は阪神打線との相性が悪く、5月3日からの3連戦(甲子園)では3日の第1戦で大山悠輔からサヨナラ安打、5日の第3戦で福留孝介にサヨナラ本塁打(セ・リーグ公式戦通算5万号本塁打)を打たれた。ただ、セットアッパーのスペンサー・パットンが負傷で戦線を離脱した7月以降はパットンに代わる右のセットアッパーに定着。レギュラーシーズンの一軍公式戦ではチームメイトのエドウィン・エスコバーに次いでセ・リーグ2位(右投手ではリーグトップ)、自己最多の71試合に登板。72.2回を投げて62奪三振でWHIP1.35、防御率4.33ながら5勝4敗、自己最多の23ホールドを記録した。

新型コロナウイルスの影響で開幕が遅れ、短縮シーズンとなった2020年はレギュラーシーズンの開幕当初はセットアッパーを任されていたが、クローザーの山﨑康晃に救援の失敗が相次いだ7月下旬から山崎と役割を入れ替える格好でクローザーへ転向。転向後最初に登板した同月29日の対巨人戦(東京ドーム)で一軍公式戦初セーブを挙げた。その後も好投を続け、クローザー転向後の成績は33試合で34回を投げて、3勝0敗18セーブ、防御率1.59(失点6)と安定感を見せた。このシーズンはシーズン全体で48試合に登板し、47.2回を投げて46奪三振でWHIP0.90、防御率2.45で3勝1敗、5ホールド、18セーブを記録した。また、課題であった制球力も13四球(3敬遠)と改善を見せた。

2021年は新たに監督に就任した三浦大輔によって開幕当初からクローザーを任される。しかし、巨人との開幕戦(東京ドーム)ではチームが同点に追い付いた直後の9回裏に登板すると亀井善行にNPB史上初の開幕戦代打サヨナラ弾を打たれ、敗戦投手となった。この試合以来、年間を通して巨人戦では精彩を欠く内容が多く、登板した11試合のうち6試合で失点(うち3試合で敗戦)。防御率11.17と打ち込まれた。こうした背景もあり、9月には山﨑にクローザーを譲る形で配置転換となっている。一軍公式戦全体では59試合の登板で57.1回を投げ、57奪三振、WHIP1.36で3勝5敗23セーブ、防御率4.08を記録した。オフには球団と年俸変動制の3年契約を結び、2022年の推定年俸は1,000万円増となる1億2,000万円となった。

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