岸 孝之(きし・たかゆき)

1984年12月4日生まれ。宮城県仙台市太白区出身。右投げ右打ち。身長180cm、体重77kg。12球団中、広島戦のみ勝利がない。

回転がきれいで糸を引くような140km/h台中盤の直球と縦方向に大きく曲がるカーブ、チェンジアップ、スライダーの4種類を武器とした幅の広い投球が持ち味。速球の回転がきれいなために角度が付きやすく、被本塁打が多い。高い完投能力を誇る。大学時代はスライダーを得意としていたが、プロに入ってから自信のない球種となった。50メートル走6.0秒の俊足を備える。

社会人野球の七十七銀行硬式野球部(宮城県仙台市)の初代監督である父親の影響で仙台市立西中田小学校3年時に安久野球部(現:西中田ゴールデンアクロス)で野球を始める。

仙台市立柳生中学校卒業後は宮城県名取北高等学校に進学。同校を選んだ理由としては自宅に最寄りだったことと、野球部が坊主頭を強制していないことを後のインタビューで答えている。ただ、1年時の5月には野球部退部も考えており、夏の時点で身長は170cm、体重が51kgでBMIが17.7とやせ型で体格に恵まれているわけではなかった。それでも2年時からエースの座につくと3年夏の第84回全国高等学校野球選手権大会宮城県大会では1回戦で多賀城高と対戦。この試合で岸は5回コールドの参考記録ながらノーヒットノーラン(1死球がなければ完全試合)の好投を披露した。更にこの試合で多賀城高の主力として出場する息子を観に来ていた東北学院大学硬式野球部の菅井徳雄監督の目にとまった。その後は7月16日の2回戦では仙台二高と対戦したが、守備陣が乱れて岸の自責点はゼロながら2-4で敗退。甲子園出場を経験することはできなかったが、東北学院大を含む10数校の大学から誘いがあった。その後は学費免除などの特待はなかったものの、学業と野球を両立できるとして東北学院大への進学を決めている。

2003年に入学した東北学院大学では経済学部経済学科に所属。同校ではエースとして活躍し、仙台六大学野球リーグでは圧倒的強豪である東北福祉大学相手に完封を含む3連投の活躍(敢闘賞を受賞)で同大学の35連覇を阻止。東北学院大学の18年ぶりのリーグ制覇に貢献した。更に最速152km/hのストレートとスライダーを武器に2006年春にはリーグタイ記録となる19奪三振を2度マークするなど、リーグ新記録の92奪三振を達成。最優秀選手賞(MVP)に輝いている。そして24年ぶり出場となった大学選手権は初戦で先発7回を投げきるも、交代後に勝ち越されて九州東海大の山中浩史に完投を許して敗戦。それでも日米大学野球選手権大会、世界大学野球選手権大会の両大会においてエース級の活躍を見せ、2006年の日米野球ではアメリカを無失点に抑えるなど大学ナンバーワン右腕と称された。大学通算成績は23勝11敗。

2006年度のNPBドラフト前には西武ライオンズと地元の東北楽天ゴールデンイーグルスが、さらにドラフト直前には大隣憲司の獲得を断念した読売ジャイアンツが希望枠での獲得を目指したが、最終的に当初から目を掛けてくれていること、尊敬する西口文也がいることを理由に西武を選択。2006年の大学生・社会人ドラフト会議希望入団枠での指名を経て、契約金1億円、年俸1,500万円で西武に入団。背番号は11。

プロ入り1年目となる2007年は開幕直後から一軍の先発ローテーションに定着。3月30日に行われた対北海道日本ハムファイターズ1回戦(札幌ドーム)では7回無失点の好投を見せるも、勝ち星はつかなかった。それでも2度目の先発登板となった4月6日の対オリックス・バファローズ戦でプロ初勝利をマーク。このシーズンはチームが低迷する中でもコンスタントに勝ち星を挙げ、24先発で156.1回を投げてWHIP1.19で11勝7敗をマークしてチームの新人では松坂大輔以来となる2桁勝利を記録。チーム2位の防御率3.40、奪三振数はチームトップの142を記録した。ただ、与四球55は同じく新人である田中将大に次ぐリーグワースト2位の数字だった。シーズン終了時は田中と11勝7敗で並び、新人王争いが注目されたが、投球回数ならびに奪三振数で上回った田中が新人王に選出された。しかし、岸も好成績を残したことが評価され、パ・リーグ特別表彰として「優秀新人賞」を受賞している。

2008年はシーズン初登板となる3月26日の対北海道日本ハムファイターズ戦を完封勝利で飾り、8月11日には球団通算4,000勝目となる勝利を8回無失点で飾った。更に8月の月間成績は3勝0敗、防御率1.32で自身初となる月間MVP(8月)を受賞。その後も好調を保ち、シーズン通算では26先発し、168.1回を投げて138奪三振、WHIP1.18で12勝4敗、課題の四球も48と減ってリーグ優勝に貢献した。更に読売ジャイアンツと対戦した日本シリーズでは11月5日の第4戦に先発し、147球を投げて1981年の西本聖(巨人)以来2人目となる27年ぶりの毎回奪三振、2005年の渡辺俊介(千葉ロッテマリーンズ)以来12人目となる3年ぶりの日本シリーズ初登板初完封(初登板で初完封と毎回奪三振をともに達成したのは史上初)という記録を達成した。そして2勝3敗と王手をかけられた11月8日の第6戦では4回裏一死1一・三塁から先発の帆足和幸を東北学院大時代以来となる中2日でリリーフ登板。9回までの5回2/3を無失点に抑えて勝利投手となった。また、この2試合の登板で12イニング連続奪三振の日本シリーズ新記録も樹立している。そして第7戦にチームは3-2で勝利して日本一を達成。岸はこの活躍で日本シリーズMVP(最高殊勲選手賞)を獲得した。上記の通り、巨人戦を得意とし、交流戦では8イニングを投げ防御率は1.13、日本シリーズに至っては14回2/3イニングを投げて無失点だった。

2009年はシーズン開幕前の3月に開催された第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表の第一次メンバー候補35人に選ばれたが、最終メンバー28人の候補から漏れた。一方でシーズンでは5月25日の対広島東洋カープ戦で黒星を喫するまで開幕6連勝を記録。自身の連勝は2年越しで12連勝を記録した。更に4月の月間成績は4先発で4勝0敗を記録している。そして7月20日の対オリックス戦でシーズン10勝目を挙げ、チームでは松坂大輔以来となる入団から3年連続での2桁勝利をマーク。この試合で対オリックス戦8連勝を記録し、2年連続でオリックスから最も多くの勝ち星を挙げた。結局、前半戦を10勝1敗とリーグ最高勝率で折り返し、初めてオールスターゲームに選出。8月22日の対ロッテ戦では自己最多に並ぶ12勝目を挙げたが、それ以降は好投しても打線の援護が無く、9月26日の対楽天戦では4点リードの5回表にフェルナンド・セギノール、トッド・リンデン、中谷仁に楽天球団史上初となる3者連続本塁打を打たれている。そしてシーズン最終戦10月1日の対ロッテ戦ではペナントレースでは初の救援登板で7回途中から9回まで無失点で投げ切り、9回裏にチームがサヨナラ勝ちして初の救援勝利を手にし、自己最多を更新する13勝目を挙げた。シーズン通算では25先発含む26試合に登板して179.2回を投げて138奪三振、被本塁打25、WHIP1.23で防御率3.26、13勝5敗だった。

2010年は開幕3戦目で登板し、この試合では敗れたものの、その次の登板から5月24日の対広島戦で黒星を喫するまで7連勝を記録。しかし、6月29日の対日本ハム戦で黒星を喫したと同時に本人曰く「開幕からずっと違和感があった」肩の炎症の悪化から一軍登録を抹消され、そこから約3か月間二軍生活を送った。その後は9月20日の対福岡ソフトバンクホークス戦で中継ぎとして復帰。9月25日の対楽天戦ではプロ入り初セーブを挙げ、チームの公式戦最終戦となる9月29日の試合で3か月ぶりの先発登板。シーズン10勝目を挙げた。プロ入りから4年連続での2桁勝利は球団では池永正明以来42年ぶり。6月22日の対楽天戦で勝利し、地元のクリネックススタジアム宮城初勝利を挙げた。シーズン通算では16先発含む19試合に登板して113.2回を投げて110奪三振、WHIP1.11で防御率3.25、10勝6敗、2完封、1セーブを記録した。

プロ入り5年目となる2011年は故障によって出遅れ、シーズン21先発に留まる。このシーズンは135.0回を投げて106奪三振と三振を奪えず、WHIP1.26と苦しい投球が続いて8勝、9敗でプロ入り以来続いていた2桁勝利も4年で途切れた。

2012年は開幕から好調でスタートダッシュに失敗したチームの中で安定して勝ち星を積み重ねた。結果として26先発で187.2回を投げて150奪三振、WHIP0.96と安定した投球で2年ぶりの2桁勝利となる11勝を記録したものの、リーグ最多敗戦となる12敗を記録し、2年連続で負け越しとなった。

2013年は初の開幕投手を務め、シーズン通算で26先発で178.1回を投げて138奪三振、WHIP1.04を記録。最終的に2年連続2桁勝利となる11勝5敗をマークしてチームのAクラス入りに貢献した。オフの契約更改の場では過去7年間で2桁勝利が6度という安定感が高く評価され、3年総額で最高12億円となる大型契約を結んだ。

2014年も2年連続となる自身2度目の開幕投手を務める。すると5月2日の対ロッテ戦(QVCマリンフィールド)で1四球、8奪三振の内容で史上78人目、89度目のノーヒットノーラン(準完全試合)を達成。5月は5試合に登板して4勝0敗、防御率2・35でパ・リーグ月間MVP投手部門を受賞した。ノーヒットノーランを達成した月に月間MVP受賞するのはパ・リーグでは1990年4月の日本ハム・柴田保光以来24年ぶり。月間MVPの受賞は岸にとって2008年8月以来、6年ぶりとなったが、これはパ・リーグ投手部門で最長ブランクとなった。更に7月18日に西武ドームで行われたオールスターゲーム第1戦ではオールスター初の先発を務め、2回表にブラッド・エルドレッド、キラ・カアイフエ、ウラディミール・バレンティンの3選手を自身プロ最速を更新する150km/hで3者連続空振り三振に仕留めるなど、2回を投げて無安打無失点の完全投球で敢闘選手賞を獲得した。その後は6月に右肩違和感、8月には右肘の張りによって一軍登録を抹消されたものの、それぞれ短期間で一軍に復帰し、最終的に22先発を含む23試合に登板し、161.1回を投げて126奪三振、リーグトップのWHIP1.00で自己最多タイの13勝(4敗)、勝率.765で自身初のタイトルとなる最高勝率を獲得した。オフには日米野球2014の日本代表に選出されたが、右脇腹の違和感により辞退している。

2015年はシーズン開幕前から怪我に悩まされ、開幕投手を外された。また、シーズン通算でも16先発に留まり、リーグトップの5完投を記録したものの、110.1回、91奪三振でWHIPは0.91。ホームでは5勝負けなしだったのに対してビジターでは1勝もできず、5勝6敗に留まった。更に9月10日には第1回WBSCプレミア12の日本代表候補選手に選出されたが、10月9日に発表された最終メンバーからは外れている。なお、この年のシーズン中に海外フリーエージェント(FA)権を取得している。

プロ入り10年目となる2016年は8月16日の対ソフトバンク戦でNPB史上134人目の公式戦通算100勝を記録。更に9月14日の対ロッテ戦で175人目となる通算1,500投球回数を達成した。シーズン通算では19先発で130.1回を投げて104奪三振、WHIP1.22で9勝7敗を記録。シーズン終了後の11月2日には海外FA権の行使を表明した。すると11月18日に東北楽天ゴールデンイーグルスと契約に合意。契約期間は4年で契約期間の年俸総額は推定16億円。西武時代と同じ背番号11を着用することも決まったため、2011年の楽天入団以来背番号11を着用していた塩見貴洋は背番号を17に変更した。

楽天に移籍して1年目となる2017年は開幕投手に内定していたが、開幕5日前にインフルエンザ感染が発覚。開幕ローテーション入りを逃した。それでも5月7日の西武戦に先発して勝利し、パ・リーグ全6球団から白星を挙げることとなった。しかし、7月21日の日本ハム戦での8勝目を最後に12試合の間、勝ち星に恵まれず。自身7連敗を記録し、26先発で176.1回を投げてWHIP1.02で8勝10敗の成績でシーズンを終えた。また、古巣·である西武とのクライマックスシリーズ第2戦では6回途中無失点、被安打3、無四球の好投で勝利に貢献。勝てば日本シリーズ進出に王手をかけるソフトバンクとのファイナルステージ第5戦では5回2失点でマウンドを降り、岸に勝敗は付かなかったものの、チームは3対4で逆転負けを喫した。

2018年はチームの投手陣が総崩れの中、開幕から好投を続けて5月には5試合に登板して3勝0敗、防御率1.35という好成績を挙げて2014年5月以来となる月間MVPを受賞。オールスター前までで8勝1敗、防御率1.85という好成績で選手間投票によってオールスターゲームに出場した。ただ、後半戦は1試合7失点や膝の炎症によって先発としてはプロで最短となる1回3失点で降板するなどやや息切れしたものの、防御率トップの座は譲らず。チームのCS出場の可能性が無くなったことや防御率が他の選手を大きく引き離していたことで9月23日の登板を最後に残り試合を欠場。結局、自身の防御率を他の選手が上回る事は無く、自身初となる最優秀防御率のタイトルに輝き、23先発で159.0回をなげて被本塁打21、159奪三振で防御率2.72、WHIP0.98で移籍後初の2桁勝利を挙げた。オフには2018日米野球の日本代表に選出された。

2019年はチームのエースである則本が右肘手術を受け、前半戦出場が絶望的となったため、チーム移籍後初の開幕投手を務めた。ただ、開幕戦では5回途中に左太もも裏の違和感を訴えて緊急降板。以降は一軍での登板がしばらくなく、約2か月後となる5月25日のオリックス戦まで登板がなかった。ただ、この試合で7回1失点の好投を見せると次の登板となったソフトバンク戦でシーズン初勝利をマーク。ただ、7月には扁桃炎で離脱し、8月に復帰するもシーズン通算で15先発に留まり、93.2回で86奪三振、WHIP1.12、防御率3.56で自己ワーストの3勝(5敗)に終わった。ただ、オフの11月に開催された第2回WBSCプレミア12の日本代表に選出されている。

新型コロナウイルスの影響で開幕が遅れ、短縮シーズンとなった2020年は腰の違和感から開幕一軍入りを逃す。シーズン開幕後は7月4日のロッテ戦(楽天生命パーク)でシーズン初勝利を挙げるものの、その後は不調で二軍落ち。その後は約2か月間、二軍で調整を続け、9月に一軍再昇格。再昇格後は下妻貴寛とバッテリーを組み、10月15日のロッテ戦(ZOZOマリンスタジアム)では2年ぶりとなる完封勝利を挙げた。更に10、11月は6試合に登板して5勝0敗、防御率1.38の成績を挙げて同期間の月間MVPを獲得。このシーズンは自己最少の11先発に終わるも、67.1回を投げて70奪三振、チーム2位となる7勝を挙げて0敗、WHIp1.01、防御率3.21の成績を残した。

2021年は3月30日のロッテ戦(zozoマリンスタジアム)でシーズン初完封勝利をマーク。シーズンを通じては一度の二軍落ちを経験するも、大きな怪我による長期離脱はなく、ほぼ年間を通してローテーションを守って25先発。149.0回を投げて131奪三振、チーム3位の9勝、リーグワーストとなる10敗でWHIP1.23、防御率3.44で3年ぶりに規定投球回に到達した。

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