一岡 竜司(いちおか・りゅうじ)

1991年1月11日生まれ、福岡県糸島市出身。右投げ右打ち。身長179cm、体重86kg。学生時代にイタリア料理店でアルバイトとして働いていたが、客にスープをこぼすなど失敗続きで、よく泣いていた。得意料理はトンカツ。プロ入りしてから一軍での登板は全て救援登板となっており、プロ入りしてから一度も打席に立っていない。

独特なテイクバックから繰り出し最速151km/hの速球が持ち味。変化球はフォーク、カットボール、スライダー、カーブなど多種の変化球を持ち球としている。

糸島市立前原西中学校時代は糸島イーグルス(ポニーリーグ)でプレイ。

高校は大分県の藤蔭高等学校に進学。ただ、2年秋に肘を故障し、3年時は登板がなかった。

高校外業後は大学や社会人から声が掛からなかったために、専門学校である沖データコンピュータ教育学院の野球部にセレクションを経て入学。同校では1年時の2009年から公式戦に登板し、実績を重ねた。また、在学中には体重が20kg増え、球速も15km/hアップした。そして2年時の2010年には第40回JABA徳山(スポニチ)大会で同チームの優勝に貢献。一岡自身は登板した2試合で完封勝ちを収め、最高殊勲選手賞を受賞した。更に3年時の2011年には第82回都市対抗野球大会の予選で九州2次予選の初戦の対鹿児島ホワイトウェーブ戦で5安打完封勝利を挙げて11奪三振も記録。大会後はJR九州の補強選手に選出され、1回戦の対JR東海戦に先発している。

2011年度のNPBドラフト会議にて読売ジャイアンツから3位指名を受け、契約金5,500万円、年俸1,000万円で入団。背番号は46。

プロ入り1年目となる2012年は4月6日に一軍登録されるも、登板機会はなく、プロ入り初の一軍登板は5月16日、対オリックス・バファローズ1回戦(東京ドーム)まで持ち越された。同試合では8回表に4番手で救援登板し、2回無失点、1奪三振をマークした。ただ、一軍定着には至らずに4試合の救援登板で5.0回を投げて3奪三振、WHIP1.00に留まった。また、シーズン序盤は二軍で抑えを務め、6月のイースタン・リーグMVPを受賞している。

2013年も二軍では抑えを務め、35登板で32回2/3を投げて15セーブ、42三振、防御率1.10を記録した。また、シーズン途中には一軍に昇格し、前年を上回る9試合に登板。10.1回を投げてWHIP1.35、防御率5.23だった、オフにはプエルトリコ・ウインターリーグに派遣され、3試合に先発登板。2勝0敗、防御率1.62を記録したが、右足首捻挫のため予定より早く帰国している。その後は12月25日にFAで巨人へ移籍した大竹寛の人的補償として広島東洋カープへの移籍が発表された。

2014年は開幕から一軍入り。シーズン開幕後は3月29日の対中日ドラゴンズ戦でプロ初ホールドを記録するとシーズン13試合目の登板となった4月27日の対巨人戦では延長11回表を無失点に抑えると、ブラッド・エルドレッドのサヨナラ3点本塁打によりプロ初勝利を記録し、ヒーローインタビューでは故郷の博多弁で喜びを爆発させた。また、5月25日に行われたマツダスタジアムでの埼玉西武ライオンズ戦で2点リードの9回に登板し、1回を2奪三振、被安打1、無失点に抑えてプロ初セーブをマーク。その後も勝ちパターンのリリーフとして安定した成績を残し、23試合登板した時点で防御率0.78を記録していた。ただ、右肩痛を発症して6月9日に一軍登録を抹消。8月に戦線復帰したものの、再度右肩痛で登録を抹消され、その後一軍での登板はなかった。このシーズンは31試合に登板して31.0回を投げて27奪三振、WHIP0.74、2勝2セーブ、16ホールドで防御率0.58をマーク。契約更改では1,350万円増の推定年俸2,400万円で契約を更改した。

2015年は開幕一軍メンバーに選ばれるものの、4月3日の中日戦(ナゴヤドーム)でサヨナラ打を打たれてプロ初黒星を喫した。また、5月20日の中日戦(豊橋市民球場)では移籍後ワーストの4失点を喫している。その後は5月21日に登録を抹消されている。それでも8月7日の巨人戦(東京ドーム)では延長12回裏に危険球退場した中﨑翔太に代わって登板し、シーズン初セーブ(通算3セーブ目)をマーク。シーズン通算では38試合に登板し、37.0回を投げて35奪三振、WHIP1.70で2勝4敗、1セーブ、7ホールドで防御率は4.14だった。オフには現状維持の推定年俸2,400万円で契約を更改している。

プロ入り5年目となる2016年は怪我で出遅れ、シーズンでの一軍初登板は6月の半ばとなった。それでも一軍復帰後は安定した投球を披露。ただ、7月25日に右腕の検査のため二軍落ちしており、8月に復帰した。この年は故障での離脱はあったものの、安定した投球を見せてチームのリーグ優勝及び日本シリーズ出場に貢献。シーズンでは27試合に登板して24.2回を投げて21奪三振、WHIP1.05で1勝1敗5ホールド、防御率1.82を記録した。しかし、日本シリーズでは登板機会に恵まれなかった。オフには400万円増となる推定年俸2,800万円で契約を更改している。

2017年はシーズン開幕には間に合わなかったが、4月後半に一軍に昇格。この年は自己最多の59試合に登板し、58.1回を投げて58奪三振、WHIP1.06で6勝2敗19ホールド、1セーブで防御率1.85の成績を残し、2年連続のリーグ優勝に貢献した。しかしクライマックスシリーズは3試合に投げて1失点と好投はしたが、チームは敗退し、日本シリーズ出場は叶わなかった。オフには2,500万円増の推定年俸5,300万円で契約を更改している。

2018年は前年に続き59試合に登板。この年は中﨑翔太、ヘロニモ・フランスアらと共に勝利の方程式を担い、56.1回を投げて61奪三振、WHIP1.21で5勝2セーブ18ホールド、防御率2.88を記録して3年連続のリーグ優勝に大きく貢献した。また、契約更改では2,400万円増の推定年俸7,700万円で契約を更改している。

2019年はシーズン序盤こそ前年までと同様セットアッパーとして活躍していたが、7月に登録を抹消される。その後は8月に一軍昇格したものの振るわず、再び登録抹消されてシーズンを終えた。このシーズンは33試合の登板に留まり、31.0回を投げて18奪三振、WHIP1.26で0勝0敗、16ホールド、防御率2.90だった。また、契約更改ではプロ入り後初めての減俸となる400万円減の7,300万円で契約を更改した。

新型コロナウイルスの影響で開幕が遅れ、短縮シーズンとなった2020年は開幕を二軍スタート。ただ、7月半ばに一軍昇格し、昇格後5試合連続無失でシーズン初セーブも記録した。ただ、3連投目になった7月24日対横浜戦の9回2点リードの場面で登板するとサヨナラ満塁本塁打を含む5失点でシーズン初黒星を喫し、以後も投球内容の悪さから登板の場面も限られた。この年は2度の登録抹消を経験し、19試合の登板に留まり、17.1回を投げて14奪三振、WHIP1.73で防御率6.23だった。オフには1,700万円減の推定年俸5,600万円で契約を更改した。

プロ入り10年目となる2021年はシーズンを通して不調が続き、二軍では40試合に登板も、プロ10年目で初めて一軍登板なくシーズンを終えた。オフには1,400万減の推定年俸4,200万円で契約を更改している。

2022年は8月6日の阪神タイガース戦(マツダスタジアム)で9回表を無失点で抑えると、裏の攻撃でチームは逆転サヨナラ勝ちを収めた。また、この勝利によって一岡は4年ぶりの勝利投手になるとともに、プロ通算のホールドポイントを100に乗せた。

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