岡本 和真(おかもと・かずま)

1996年6月30日生まれ。奈良県五條市出身。右投げ右打ち。身長186cm、体重100kg。プロ入り前は阪神タイガースファンだった。メロンが好物で2019年の契約更改では球団に「(東京ドームの選手)食堂のメロンが硬いので、熟したものを」と要望している。結果、翌2020年2月にその要望を知った浜松市のメロン農家から高級メロン24玉が球団に差し入れられた。

弾道の高い天性の飛距離が持ち味。バッティングは柔らかさがあり、逆方向にも距離が出る。肩も強肩で送球が安定している点も高く評価される。怪我が少なく、長期離脱がほとんどないことも特徴。ドラフト当時は一塁手しか務められないのではないかとの懸念から指名を回避するチームが多かった。

3歳の時から8歳年上の兄とのキャッチボールで野球に親しみ、五條市立北宇智小学校1年生から軟式野球チーム「カインド」で投手兼内野手として野球を始める。野手としては3年時からクリーンナップ、4年時からは4番を打ち、投手としては3年時に最速100km/hを記録した。また、この頃から智辯学園高等学校への入学と天理高等学校に勝利して甲子園大会へ出場・優勝することを目標に掲げていた。

五條東中学校時代は「橿原磯城リトルシニア」で投手兼三塁手を務め、2年時に主軸として出場した全日本中学野球選手権大会 ジャイアンツカップではベスト4に進出。また、3年時には右肘を剥離骨折している中、シニアリーグ日本代表の4番として全米選手権に出場。打率5割超えの活躍によって優勝に貢献した。中学では投手を主とし、3年時には135km/hほどの球速が出ていたが、前述の骨折の影響で高校進学時は投手ができない状態だった。橿原磯城リトルシニアの1学年上に鍬原拓也がいた

高校進学に際しては強豪校約20校からスカウトされる中、憧れであった智辯学園高等学校に入学。同校では1年春からベンチ入りし、秋から4番打者を務めた。また、1年時の年間本塁打は8本だったものの、2年時には48本を記録した。そして3年時に出場した第86回選抜高等学校野球大会1回戦三重高校戦では大会史上19人目かつ大会タイ記録である1試合2本塁打をマーク。第96回全国高等学校野球選手権では1回戦で当時エースであった岸潤一郎を擁する明徳義塾と対戦し、4-10で初戦敗退を喫している。高校通算73本塁打。大会後は第10回18Uアジア野球選手権大会の日本代表に選出され、4番打者として打率.437、5打点を記録して準優勝に貢献。野球部の2学年先輩に青山大紀が、1学年後輩に廣岡大志が、2学年後輩に村上頌樹がいた。

2014年度のNPBドラフト会議にて読売ジャイアンツから1巡目で単独指名を受け、契約金8,000万円、年俸1,200万円という条件で入団。当時の一軍監督だった原辰徳からの提案で終身名誉監督の長嶋茂雄の「3」と原が現役選手時代に着けていた「8」を合わせた背番号「38」を着用することとなった。

プロ入り1年目となる2015年は春季キャンプを二軍で迎えると、キャンプ終了後の3月に腰、公式戦開幕後の5月に下半身の不調で2度にわたって約1か月、戦線を離脱した。それでも2度目の戦線離脱から復帰した後は6月29日に明治神宮野球場で開催された「侍ジャパン大学日本代表 対 NPB選抜」にNPB選抜の「7番・三塁手」としてスタメン出場。3打数1安打、2三振を記録した。その後は8月27日に入団後初の一軍昇格を果たすと、8月28日の対中日ドラゴンズ戦(東京ドーム)の7回裏から高木勇人の代打として公式戦デビュー。結果は祖父江大輔から二飛に倒れた。そして9月5日の対横浜DeNAベイスターズ21回戦(横浜スタジアム)の5回表に再び高木の代打に起用され、公式戦通算3打席目で砂田毅樹からの2点本塁打によって公式戦初安打・初打点・初本塁打を記録。レギュラー三塁手であった村田修一が故障で出場選手登録を抹消された9月19日には対東京ヤクルトスワローズ戦(神宮)で「7番・三塁手」として公式戦で初めてスタメンに起用され、5回表の出塁後に公式戦初盗塁を記録した。シーズンを通じては一軍公式戦通算で17試合に出場。31打席で打率.214、1本塁打、4打点を記録した。レギュラーシーズンの終了後には台湾で開催されたウインターリーグに参加し、19試合の出場で打率.383、3本塁打、20打点という成績で打点王のタイトルを獲得。オフには200万円増となる推定年俸1,400万円で契約を更改した。

2016年も公式戦の開幕を二軍で迎える。一方でイースタン・リーグでは二軍監督の斎藤雅樹の方針で4番打者に固定された。そしてこの年より二軍打撃コーチに就任した二岡智宏の進言で打席が終わるごとにメモを取る習慣を身につけ、毎日二岡に提出していた。そして一軍公式戦では5月27日の対阪神タイガース戦(東京ドーム)に「6番・三塁手」としてスタメンでシーズン初出場。7月14日のフレッシュオールスターゲーム(倉敷マスカットスタジアム)ではイースタン・リーグ選抜の「4番・一塁手」としてフル出場。4打数2安打、3打点を記録し、チーム唯一の本塁打を打ってMVPに選ばれた。更に二軍のイースタン・リーグ優勝で迎えた福岡ソフトバンクホークスとのファーム日本選手権(10月1日・KIRISHIMAサンマリンスタジアム宮崎)でも4番打者として4打数2安打、1本塁打、3打点を挙げてMVPに選ばれている。最終的に二軍では18本塁打、74打点を記録し、打点王のタイトルを獲得。ただ、レギュラーシーズン全体では一軍3試合、10打席の出場にとどまった。シーズン終了後にはプエルトリコのウインターリーグへ派遣されている。オフの12月25日には2歳年上の女性と結婚。契約更改の場では200万円減となる推定年俸1,200万円で契約を更改した。

2017年は内野守備に課題があることや、球団がケーシー・マギーを獲得したことを背景に左翼手の守備に取り組んだ。するとシーズン開幕を自身初の一軍出迎え、「7番・左翼手」としてスタメンに起用された4月7日の対阪神戦(甲子園)では1回表二死満塁で迎えた打席で2点適時打を打ち、公式戦559日ぶりの打点を記録。5回表の第3打席でも安打を放ったことによって自身初の公式戦マルチ安打を達成した。しかし、その後はシーズンのほとんどを二軍で過ごし、一軍成績は15試合の出場で35打席で打率.194、0本塁打、2打点に留まる。オフには現状維持となる推定年俸1,200万円で契約を更改し、背番号は同年で退団した村田修一の「25」に変更されることになった。

2018年は春季キャンプから打撃コーチである二岡の助言により、グリップ位置を下げてバットを立てるフォームに矯正。オープン戦で結果を残すと、前年まで正一塁手だった阿部慎之助からレギュラーの座を引き継ぎ、3月30日の開幕戦である対阪神戦で「6番・一塁手」として2年連続で開幕スタメンで起用された。すると翌3月31日の開幕第2戦で4打数4安打、(1本塁打)5打点でプロ初の猛打賞を記録。翌4月1日の試合でも逆転となる3点本塁打をマークした。そして6月2日のオリックス・バファローズ戦では巨人の第89代目の4番打者として出場。第1打席で初の2桁本塁打となる左越ソロ本塁打を放っている。その後は6月下旬から32打席連続無安打を記録するなど苦しんだが、その後はシーズン終了まで4番に定着した。最終的に全試合に出場し、616打席で打率.309、33本塁打、100打点、OPS.935と当時のプロ野球史上最年少となる22歳3か月での100打点、および「3割・30本塁打・100打点」を記録した。オフには6,800万円増となる推定年俸8,000万円で契約を更改した。

プロ入り5年目となる2019年は「4番・一塁手」として初めて開幕4番を任された。ただ、前半戦は打率が.250前後で推移するなど調子が上がらず、監督の原からは「ビッグベイビー」と揶揄され4番を外される試合もあった。それでも8月6日の対中日戦の試合前にアドバイザーとしてチームに帯同していたウォーレン・クロマティに助言を受け、脚部の使い方と打球方向の意識の再確認を行った。これがきっかけとなり、8月は打率.301、9本塁打、26打点を記録し、9月20日のDeNA戦では目標としていた30本塁打を記録している。最終的には143試合全試合に出場して628打席に立ち、打率.265、チーム2位の31本塁打、チームトップタイの94打点、OPS.828を記録して2年連続での全試合出場を達成。また、この年先発した守備位置は一塁69試合、三塁56試合、左翼17試合と4番打者でありながらチーム事情に合わせてユーティリティさも見せ、一塁の守備は無失策で終えた。また、クライマックスシリーズでは前年の成績(18打数1安打1打点)を大きく上回る15打数8安打3本塁打7打点の活躍でCSファイナルシリーズのMVPを受賞。23歳での受賞は24歳で受賞した菅野を抜き、セ・リーグでの最年少記録となった。ただ、オフのベストナイン投票では一塁手部門で48票、三塁手部門で101票、外野手部門で1票と票が割れてしまい、受賞を逃した。オフには6,000万円増となる推定年俸1億4,000万円で契約を更改している。

新型コロナウイルスの影響で開幕が遅れ、短縮シーズンとなった2020年は開幕直後は好調も、8月以降は徐々に調子が下降し始め、9月16日の対阪神戦で腰痛のためスタメンから外れた。また、この試合では途中出場もなかったため、2017年10月3日の対ヤクルト戦から続いていた連続試合出場は359試合でストップ。最終的に118試合に出場して500打席に立ち、打率.275、31本塁打、97打点、OPS.907を記録し、自身初の打撃タイトルとなる本塁打王と打点王の二冠を獲得。この年は腰痛で欠場した2試合を除いて全ての試合で4番を務め、前年まで複数のポジションで起用されていた守備位置もシーズンを通して三塁に固定された。オフにはセ・リーグの三塁手部門で自身初となるベストナインに選出され、契約更改の場では7,000万円増となる推定年俸2億1,000万円で契約を更改した。

2021年も開幕から4番を務めるが、5月終了時点で打率.249と調子が上がらず、6月16日に発表された東京オリンピック野球日本代表には選出されなかった。その後は7・8月こそ月間打率3割台と復調したものの、9月は再び2割台に低迷。優勝争いが佳境を迎えた10月に至っては打率.207と絶不調に陥り、クライマックスシリーズは開幕直前に左脇腹を痛め、1stステージ・ファイナルステージともに出番はなかった。結果的にレギュラーシーズンでは公式戦143試合すべてに「4番・三塁手」として先発出場し、自身初となる「全試合4番先発出場」を達成。592打席で打率.265、OPS.871だった。また、いずれも自身最多となる39本塁打、113打点を記録して2年連続で本塁打と打点の二冠を獲得。巨人における2年連続での本塁打・打点の二冠は1977年の王貞治以来44年ぶりで右打者としては史上初となった。オフにはゴールデングラブ賞を受賞し、契約更改の場では9,000万円増となる推定年俸3億円で契約を更改した。

コメントを残す