小野 郁(おの・ふみや)

1996年10月23日生まれ。福岡県久留米市出身。右投げ右打ち。身長175cm、体重78kg。高校通算25本塁打と高い打力を誇る。SNSでは自炊様子をアップロードする。

最速157km/hの力のある直球を軸に大きな曲がりの縦のスライダー、カーブ、フォーク、チェンジアップ、カットボールなどを投げわける。コマンドが課題で与四球が多い。50m走のタイムは6秒2、遠投は100m。

南薫小学校2年時に「南薫エンゼルス」で軟式野球を始める。当時のポジションはキャッチャーだった。また、6年時にはホークスJr.にキャッチャーとして選出されている。

櫛原中学校では硬式野球の「久留米中央ボーイズ」でプレー。2年時後半から投手に転向した。また、3年夏に全国大会で立田将太と投げ合い、敗れている。

高校は西日本短大附属高校へ進学。同校では1年夏にベンチ入りし、秋にはエースになった。また、3年夏の福岡県大会では初戦から7回完封、9回完封、9回2失点完投、9回4失点完投で勝ち進んだが、準々決勝で清水優心、古澤勝吾、山本武白志ら擁する九州国際大付属高校に8失点を喫して7回コールド負けを喫した。高校時代は通算25本塁打をマークするなど、打者としても活躍したものの、3年時の6月に学校の階段で転倒して左手首を骨折してからは投手に専念した。高校時代の最速は153km/h。

2014年度のNPBドラフト会議で東北楽天ゴールデンイーグルスに2巡目で指名され、契約金6,000万円、年俸600万円で入団。背番号は15。プロ入り時には「最初は投手一本で勝負したい」と述べた。

プロ入り1年目となる2015年は6月29日に行われた「侍ジャパン大学日本代表 対 NPB選抜」のNPB選抜チームのメンバーに選出されていたが、6月25日に出場が安樂智大に変更された。その後は8月18日に初めて一軍に昇格すると翌19日の埼玉西武ライオンズ戦で救援投手としてプロ初登板。1イニングを投げて無安打3四死球、2失点という内容だった。その後は9月13日に登録を抹消されるとそのまま二軍でシーズンを終えた。このシーズンは一軍で4試合に登板し、5.0回を投げるも三振は奪えず、WHIP2.80で防御率は14.40だった。一方で二軍では22試合に登板して3勝を挙げ、防御率は3.09だった。

2016年は7月5日に一軍登録され、その後は抹消と再登録を2度経験しながらも11試合に救援で登板。成績は13.1回を投げて7奪三振、WHIP2.17で防御率8.78だった。一方で二軍では7試合に登板している。

2017年は9月16日に一軍へ昇格。ただ、同22日に登録抹消となり、この年の一軍登板は2試合にとどまった。オフには翌シーズンから背番号が28に変更されることが発表さ

2018年は5月16日に一軍登録されるも6月3日に登録を抹消され、その後は再登録と抹消を2度経験している。この年は9試合の登板で0勝1敗、防御率3.48という成績であった。一方でイースタン・リーグでは39試合に登板して3勝3敗20セーブ、防御率1.86を記録して同リーグの最多セーブに輝いた。

プロ入り5年目となる2019年は4月12日に一軍へ昇格するも、同25日に登録抹消。6月23日に再登録されたが、8月22日に登録を抹消されるとそのまま二軍でシーズンを終えた。この年は13試合の登板で18.2回を投げて14奪三振、WHIP1.66で防御率6.27という成績であった。一方でイースタン・リーグでは35試合に登板して2勝3敗14セーブ、防御率3.32で同リーグの最多セーブを2年連続で獲得した。すると12月19日に千葉ロッテマリーンズからFA権を行使して楽天に入団した鈴木大地の人的補償としてロッテへ移籍することが決定。背番号は37。また、チームに同姓でコーチの小野晋吾が在籍していたため、ユニフォームの背ネームは「F.ONO」となった。

新型コロナウイルスの影響で120試合制の短縮シーズンとなり、開幕も延期された2020年は6月19日の開幕を初めて一軍で迎える。すると同24日のオリックス・バファローズ戦でプロ初ホールドを記録すると、26日の同カードではプロ初勝利をマーク。この年はチーム内の新型コロナウイルス集団感染で10月に戦列を離れた時期もあったが、ビハインドゲームでの登板を中心に40試合に登板。39.0回を投げて32奪三振、WHIP1.26で2勝2敗4ホールド、防御率3.23を記録した。特に8月以降の登板では26試合の登板で防御率2.22と安定したピッチングを披露した。オフには1,100万円増となる推定年俸1,700万円で契約を更改した。

2021年は開幕から制球に苦しむ場面が目立ち、4月10日に登録抹消。その後は同22日に一軍へ再昇格を果たしている。この年は負け試合での登板も多く、9月には3週間ほど登板機会が無い期間もあったが、通算では自己最多の49試合に登板。51.2回を投げて56奪三振、0勝3敗8ホールド、WHIP1.22で防御率3.48を記録した。オフには1,000万円増となる推定年俸2,700万円で契約を更改した。

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