髙橋 光成(たかはし・こうな)

1997年2月3日生まれ。群馬県沼田市出身。右投げ右打ち。身長190cm、体重105kg。実家はりんご園。

最速154km/hの速球に加えて縦に割れるスライダー、フォーク、カットボールなどをバランスよく投げ分ける。奪三振を取る能力にやや欠け、球数が多くなる傾向にある。

利根村立利根東小学校(現在の沼田市立利根小学校)1年時に「利根ジュニア」で野球を始める。当時は投手と外野手でプレーしていた。

利根中学校では沼田市の軟式野球クラブ「NBAトレジャーズ」でプレー。投手を務めた。また、脇本直人とは小学校の時からの知り合いで中学時代はクラブでのチームメイトだった。

高校は前橋育英高等学校に入学すると1年夏からベンチ入り。秋にはチームのエースにとなった。また、2年時には第95回全国高等学校野球選手権大会初戦の岩国商業高校戦で歴代2位の9者連続奪三振を記録して完封。2回戦も完封し、3回戦で1失点(自責点0)完投。準決勝では1失点(自責点0)完投勝利で勝ち上がると延岡学園高校との決勝では3失点(自責点2)完投勝利を収め、前橋育英の初出場での初優勝に貢献した。この大会での通算成績は6試合で50回を投げて自責点2、防御率0.36だった。また、大会後は第26回AAA世界野球選手権大会日本代表に選出されている。ただ、3年時には第96回全国高等学校野球選手権群馬大会3回戦の健大高崎高校戦で脇本に逆転打を打たれるなど6失点を喫し、チームは敗退。それでも大会後にタイのバンコクで行われた第10回18Uアジア野球選手権大会の日本代表に選ばれ、フィリピン戦で5回、チャイニーズタイペイ戦では4回2/3をそれぞれ投げ共に自責点0に抑えた。

2014年度のNPBドラフト会議で埼玉西武ライオンズから1巡目指名を受け、契約金1億円プラス出来高払い5,000万円、年俸1,300万円で入団。背番号は「17」となった。なお、前橋育英から高卒で直接プロ入りするのは高橋が初。新入団選手発表会では登録名はフルネームの「髙橋光成」となることが発表された。

プロ入り1年目となる2015年は4月28日に「侍ジャパン大学日本代表 対 NPB選抜」のNPB選抜に選出される。そして6月29日に行われたこの試合では救援で1回を投げるも、吉田正尚(青山学院大学)の本塁打により1失点を喫した。シーズンでは8月2日のソフトバンク戦で一軍でプロ初登板・初先発。3回0/3を5安打4四死球4失点(自責点3)の内容でプロ初黒星を喫した。その後は8月9日のオリックス・バファローズ戦で5回1/3を投げ、1安打5四球無失点の内容でプロ初勝利をマーク。西武ライオンズにおいて「高卒新人投手のプロ入り2試合目での初勝利」は1999年に初登板・初勝利を挙げた松坂大輔に次ぐ早さで18歳6か月での初勝利は18歳7か月で初勝利を挙げた松坂より早い達成であった。更に8月23日の千葉ロッテマリーンズ戦では9回6安打2四球無失点の内容でプロ初完投・初完封勝利を記録。初登板から4試合目での完封勝利は松坂と並び球団最速記録(前身球団を含めると、1956年に記録した畑隆幸も4試合目での達成で並ぶ)となっている。そして続く31日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦では5回2失点でシーズン4勝目を挙げ、高卒新人投手が月間4勝を挙げたのは藤浪晋太郎が2013年8月に記録して以来、初登板した月に月間4勝以上を挙げたのはドラフト制度導入後では史上初(それ以前では、尾崎行雄が1962年の4月に5勝を記録)となった。この年は8月は5試合に登板し、4勝1敗・防御率2.96の好成績でパ・リーグの月間MVPを獲得。高卒新人選手の月間MVPの受賞は1986年9月に受賞した清原和博、1987年8月に受賞した近藤真市、1999年7月に受賞した松坂大輔、2013年8月に受賞した藤浪晋太郎以来5人目で髙橋の18歳6か月での受賞は18歳10か月で受賞した松坂の記録を更新し、両リーグ通じて最年少での受賞となった。ルーキーイヤーは二軍で13試合に登板し、4勝4敗・防御率3.69の成績でイースタン・リーグの優秀選手賞を受賞。一軍では8試合に登板し、44.0回を投げて22奪三振、WHIP1.25、5勝2敗、防御率3.07という成績だった。オフには500万円増となる推定年俸1,800万円で契約を更改している。

2016年は3月20日に行われた二軍での東京ヤクルトスワローズ戦で初回に球審からの球を捕球し損ねて顔に当て、右頬を骨折。ただ、大事には至らずに4月3日の二軍戦で実戦復帰を果たし、同30日のソフトバンク戦で一軍復帰を果たした。また、5月26日に県営大宮球場で行われた楽天戦に先発して完封勝利をマーク。高卒選手が1年目から2年連続で完封勝利を挙げたのはパ・リーグでは田中将大以来8年ぶり、西武ライオンズ所属選手としては松坂大輔以来16年ぶりのことであり、また同球場で完封勝利を挙げたパ・リーグ史上初の投手となった。しかし、群馬県、前橋で開催されて凱旋登板となった6月24日のロッテ戦では5回2/3を投げて7失点でシーズン3敗目を喫すると、その後は自身8連敗を喫した。この年は22試合(19先発)に登板し、118.0回を投げてWHIP1.57、4勝11敗で防御率4.42、リーグ最多の12暴投を記録した。オフには500万円増の推定年俸2,300万円で契約を更改している。

2017年は開幕ローテーション入りを果たしたが、日程の都合で5月19日に登録を抹消された。その後は交流戦から一軍復帰する見込みであったが、右肩の違和感で先発を回避し、そのまま長期離脱。9月24日のオリックス戦で復帰したものの、復帰後の一軍登板はこの1試合に留まった。この年は7先発で39.1回の登板に留まり、WHIP1.42で防御率4.12、3勝4敗の成績に留まった。オフにウィンターリーグに参加し、契約更改では150万円減となる推定年俸2,150万円でサインした。

2018年は右肩の故障などから出遅れ、シーズン初登板は8月8日のオリックス戦まで持ち越された。また、優勝決定後となった10月3日の日本ハム戦では8回2失点で勝利投手となるも、142球を投げて7四球と制球に苦しんだ。この年は3先発に留まり、2勝1敗、WHIP1.50で防御率4.50に留まった。オフの契約更改では300万円減となる推定年俸1,850万円でサインをし、翌年から背番号を西口文也の引退以降欠番となっていた「13」に変更することが発表された。

プロ入り5年目となる2019年は開幕から12先発で7勝4敗、防御率3.68と先発ローテーションを守り、オールスターゲームに初選出。ただ、第2戦の2回に2番手で登板したものの、1回6失点の成績だった。また、レギュラーシーズンでは7月以降に自己最短の1回0/3、自己ワーストの8失点でノックアウトされた試合があるなど、調子を落として9月8日に登録抹消。その後は右肘内側靱帯炎症と診断され、その後のレギュラーシーズンやクライマックスシリーズでの登板は無かった。この年は21先発し、123.3回を投げて90奪三振、WHIP1.54、10勝6敗、防御率4.51という成績で自身初の2桁勝利を記録。オフには2,150万円増となる推定年俸4,000万円で契約を更改した。また、1月には群馬県出身の22歳の一般女性と結婚をしている。

新型コロナウイルスの影響で120試合制となった2020年は開幕から先発ローテーション入り。ただ、調子が上がらず、7月23日に登録抹消。8月4日に再登録されたが、8月11日の楽天戦でも敗戦投手となって自身5連敗を喫した。ただ、次の登板となった8月18日のオリックス戦で自身の連敗を止めると調子を上げ、9月1日のロッテ戦では7回一死まで無安打無得点の好投。続く8日のオリックス戦でも8回まで無安打無得点、9回先頭打者にヒットを打たれたものの後続を抑え、自身4年ぶり3度目の完封勝利を達成した。この年は20先発で120.1回を投げて初めて規定投球回に到達。8勝8敗、WHIP1.20で100奪三振、防御率3.74という成績だった。オフには2,700万円増の推定年俸6,700万円で契約を更改している。

2021年は春季キャンプ中に辻発彦監督から自身初となるシーズン開幕投手として指名を受けた。そして3月26日のオリックス戦に開幕投手として先発し、7回1/3を3失点の内容で勝利投手に。交流戦前は9試合で負け無しの5連勝、防御率2.45と好調だった。ただ、東京ヤクルトスワローズ戦、中日ドラゴンズ戦では2試合連続で4回持たずにノックアウトされ、交流戦は3先発で2敗、防御率11.25、被打率.414と打ち込まれた。それでもリーグ戦再開後は復調し、9月20日のオリックス戦では8回4失点で自己最多の11勝目を挙げた。また、松坂大輔の引退試合となった10月19日の日本ハム戦では松坂が先発し打者1人で降板し、十亀剣を挟んで2回表から3番手として登板。自身5年ぶりのリリーフ登板であったが、野村佑希に決勝の3点本塁打を打たれるなど4回4失点で敗戦投手となった。この年は27試合(26先発)の登板で11勝9敗、リーグ2位の173回2/3を記録し、127奪三振、WHIP1.26で被本塁打数がリーグで2番目に多く、防御率3.78はリーグの規定投球回到達者14人中13位だった。オフには選手会長に就任し、契約更改では4,300万円増となる推定年俸1億1,000万円でサインした。

2022年は「1年間を通して効率よく、いいボールを投げるために」と余計な動きを省いたフォーム改造に着手。春季キャンプ中に2年連続となる開幕投手に指名されたが、オリックスとの開幕戦では7回2失点で敗戦投手となった。

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