森下 暢仁(もりした・まさと)

1997年8月25日生まれ。大分県大分市出身。右投げ右打ち。身長180cm、体重78kg。父は中学まで野球部に所属し、内野手を務めた。子供の頃の運動会の徒競走は負けなしで中学3年時には駅伝大会に駆り出されている。

ノーワインドアップから上体を反らすようにして真上から投げ下ろすオーバースロー。ストレートは最速156km/hでキレがある。変化球は緩急をつけたカーブ、チェンジアップ、カットボールなど変化球を操り、特に縦のカーブに自信を持つ。制球は安定している。バッティングも得意。

大分市立明治北小学校3年生時に明治少年野球クラブで軟式野球を始める。

大分市立大東中学校では同校の軟式野球部に所属し、第34回全国中学校軟式野球大会出場を果たしている。ただ、肘を故障して野手に転向した。

高校は「楽しく野球ができればいい」との想いから中学軟式野球部の友人が多く進学した大分商業高校に進学。同校では第95回全国高等学校野球選手権大会に1年先輩の2年生エースだった笠谷俊介と同学年の川瀬晃とともに1年生ながら控えとしてベンチ入り。ただ、試合に出場する機会はなかった。2年生になってからは投手と兼任で三塁手のレギュラーを獲得。笠谷がチームを退いた後は投手と遊撃手との兼任で主将の川瀬とライバル関係であった。甲子園の出場は1年生の夏だけで、2年・3年生時ともに大分県予選で敗退している。それでも2015年8月28日から行われた2015 WBSC U-18ワールドカップにおいてはU-18野球日本代表に選出され、日本の銀メダル獲得に貢献した。

高校卒業後は明治大学に進学。同校では1年時の春季リーグ戦から登板を果たし、3年春からエースとして活躍し、最速154km/hを記録。4年時は主将を務めた。大学通算では35試合に登板して13勝9敗、防御率2.78の成績を記録した。また、2019年6月10日から行われた第68回全日本大学野球選手権大会においては優勝を経験している。また、エースを務めながら打順は5番を担うことが多く、登板予定の無い日には代打で出場したり、外野の守備に就くなどしたりして、二刀流として活躍した。また、大学野球日本代表においては2017年ユニバーシアードで金メダルを獲得。2018 ハーレムベースボールウィークでは優勝を果たし、日米大学野球選手権大会においては2年生から3年連続で選出された。

2019年度のNPBドラフト会議で広島東洋カープから1巡目で指名され、契約金1億円プラス出来高5,000万円、年俸1,600万円(金額は推定)で契約。背番号は前田健太の退団後は空き番であった18。

プロ入り1年目となる2020年新型コロナウイルスの影響で開幕が遅れ、短縮シーズンとなった。このシーズンは開幕直前の練習試合で乱調が続いていたものの、先発ローテーションを勝ち取る。すると開幕3試合目の対横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)でプロ初登板初先発。7回無失点と好投した。そして自身2度目の登板となる6月28日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)にてプロ初勝利を9回途中3失点で飾った。その後は8月14日の対阪神タイガース戦(京セラドーム)で被安打2、無四球、12奪三振の好投でプロ初完封勝利を挙げた。最終的には18先発し、122.2回を投げて規定投球回に到達。124奪三振、WHIP1.09、リーグ2位となる防御率1.91で10勝3敗(勝利数はリーグ5位タイ)、勝率.769(同2位)で終えた。契約交渉では推定年俸4,300万円(球団の新人では最高増額となる2,700万円増)という条件で契約を更改。オフには球団では大瀬良以来の新人王に選出された。

2021年は開幕から先発ローテーションを守り、5月20日まで7試合に先発。3勝3敗、防御率1.84を記録していた。ただ、5月22日に球団内で新型コロナウイルス集団感染が発生し、PCR検査では陰性判定となったものの濃厚接触者判定され、5月23日に「感染拡大防止特例2021」の対象選手として出場選手登録を抹消。6月5日に出場登録されるも、同日の楽天戦では6回1/3を4安打3失点で降板した。この年は前半戦こそ13試合に先発し、6勝4敗、防御率2.29を記録も、後半戦でやや失速。最終的には24先発で163.1回を投げて132奪三振、WHIP1.20で8勝7敗、防御率2.98だった。また、シーズン中の6月16日に東京オリンピックの野球日本代表に選出されると同大会では予選第2戦のメキシコ戦に先発。5回5安打2失点で勝利投手となると決勝のアメリカ合衆国戦でも先発して5回3安打無失点で再び勝利投手となり、チームの金メダル獲得に貢献した。オフには3,200万円増となる推定年俸7,500万円で契約を更改した。

コメントを残す