高梨 雄平(たかなし・ゆうへい)

1992年7月13日生まれ。埼玉県川越市出身。左投げ左打ち。身長175cm、体重81kg。早稲田大学時代には哲学者ルネ・デカルトの著書を読んだことを契機にイップスを克服した。禅語の「日々是好日」という言葉を大切にしている。

変則のサイドスロー左腕。右足を上げると同時に左腕を体の側面で隠すトルネード気味のフォームが特徴。相手打者は球の出所が見えづらい。直球の最速は147km/hで変化球は曲がりの大きなスライダーを中心にツーシーム、チェンジアップを武器としている。

投手ながら打撃の能力が高く、早稲田大学時代には一塁手として東京六大学のリーグ戦に先発出場したこともある。

川越市立高階南小学校3年時に川越リトルで野球を始める。

川越市立高階西中学校時は川越シニアへ所属していた。

高校は元プロ野球選手だった阿井英二郎監督に教わりたいと川越東高校へ進学。同校では1年春からベンチ入りし、3年夏の選手権埼玉大会では準々決勝で春日部共栄高校を相手に、延長14回を1人で投げ切った。また、この試合の14回裏にチームがサヨナラ勝ちを収めると、花咲徳栄高校との準決勝でも延長10回を投げ切ったが、決勝には進めなかった。

高校卒業後は早稲田大学へ進学。同校では1年春から東京六大学野球のリーグ戦で救援を中心に10試合へ登板。通算投球イニング19回で防御率0.95という成績を残した。また、1年秋のリーグ戦では先発投手として5勝1敗、防御率2.21を記録。2年春のリーグ戦では4勝1敗、防御率2.31という成績でチームを3季ぶりのリーグ優勝に導いている。また、この優勝によって出場した第61回全日本大学野球選手権大会では奈良産業大学との準々決勝に先発すると3回1/3を無失点に抑えた。しかし、2年秋のリーグ戦では投球イニングが10回1/3にとどまり、12月には左足首を手術。3年春のリーグ戦では4月21日の東京大学戦でリーグ史上3度目の完全試合を達成するも、リーグ戦全体ではその1勝のみで防御率は4.41だった。そして4年時には左肩痛やイップスで調子を崩したため、春秋通算でも5試合の登板で、通算投球イニング6回2/3、防御率9.45と不調だった。在学中のチームメイトには有原航平・中村奨吾・重信慎之介などがいた。リーグ通算成績は41試合に登板して11勝5敗、防御率2.81。

大学卒業後がJX-ENEOSに入社。同社では1年目から公式戦に出場するも、2年目の都市対抗野球大会の予選ではベンチに入れなかったため、ビデオ係を担った。6なかったこともあって、9巡目での指名ながら楽天への入団に至った[40]。高梨自身も、楽天への入団後に、後関を初めとする球団関係者を「野球人生の危機を救った命の恩人」と述べている[36]。2年目の夏場に投球フォームをスリークォーターからサイドスローに転向。第42回社会人野球日本選手権大会ではNTT西日本との初戦に登板したが、打者1人を抑えただけで交代している。

2016年度のNPBドラフト会議で東北楽天ゴールデンイーグルスから9巡目で指名され、契約金2,500万円、年俸800万円で入団。背番号は53で担当スカウトは後関昌彦。川越東高校出身のプロ野球選手は高梨が初となった。また、このドラフトではJX-ENEOSのチームメイトである糸原健斗も阪神タイガースから5巡目指名されている。

プロ入り1年目となる2017年は中継ぎ要員として開幕一軍入り。4月2日の対オリックス・バファローズ3回戦(京セラドーム大阪)では6回裏に3番手でプロ初登板を救援登板にて記録し、1回を無失点に抑えた。また、4月6日の対福岡ソフトバンクホークス戦(Koboパーク宮城)では5回表に救援で登板すると、1回を無失点に抑え、救援としてプロ初勝利をマーク。この勝利はNPB全球団の新人投手による一軍公式戦の勝利一番乗りとなった。その後は4月26日の対ロッテ戦(Koboパーク)で自責点1ながら一死も取れずに5失点を喫したため、6月上旬までは二軍での再調整を余儀なくされたものの、一軍への復帰後は17登板試合連続で無失点を達成している。この年はレギュラーシーズン全体では一軍公式戦46試合に登板。全て救援で投球イニングは43回2/3を投げて48奪三振、1勝0敗14ホールド、WHIP1.10、防御率1.03という好成績を残した。また、CSでは埼玉西武ライオンズとのファーストステージ(メットライフドーム)全3試合で救援したほか、福岡ソフトバンクホークスとのファイナルステージ(福岡ヤフオク!ドーム)でも第3戦(10月20日)を除く4試合に登板。ファーストステージ第1戦からファイナルステージ第2戦までは5試合連続の救援登板で1点も失わずにシーズンを終えた。オフには推定年俸3,000万円(前年から2,200万円増)で契約を更改しており、昇給率は275%で球団の歴代新人選手としては2013年の則本昂大(400%)、2007年の田中将大(300%)に次いでの記録となった。

2018年は3月30日のロッテとの開幕戦(ZOZOマリンスタジアム)で一軍公式戦初セーブを記録。このシーズンは球団史上最多のシーズン70試合全てに救援登板を果たし、48.0回を投げて53奪三振、WHIP1.271勝4敗1セーブ16ホールドで防御率は2.44だった。また、被本塁打数をわずか1本だった。更にシーズン終了後の日米野球では初めて日本代表に選ばれると救援で2試合に登板。オフには2,500万円増の推定年俸5,500万円で契約を更改している。

2019年は一軍公式戦の開幕から38試合に登板していたが、7月8日の対オリックス・バファローズ戦(山形市きらやかスタジアム)の試合前の練習中に腹痛を訴え、病院で診察を受けたところ、急性の虫垂炎を発症していることが判明。翌9日に腹腔鏡下虫垂切除術を受けた。その後は8月中旬から一軍へ復帰すると10試合に登板している。この年はレギュラーシーズン全体では48試合の登板で31.1回を投げて41奪三振、2勝1敗14ホールドで防御率2.30の成績を残し、対戦した打者から1本の本塁打も許さなかった。しかしWHIPは1.53、与四死23と走者を出す場面が多かった。オフには700万円減の推定年俸4,800万円で契約を更改した。

新型コロナウイルスの影響で開幕が遅れ、かつ短縮シーズンとなった2020年は春季キャンプからオープン戦まで一軍に帯同。新型コロナウイルスへの感染拡大に伴うチームの活動休止期間中にはSNSやYouTubeを通じて料理上手の一面を披露したことで注目された。しかし、この年から一軍監督に就任した三木肇が投手の起用に際して相手打者の左右にあまり固執せず、従来の中継ぎ要員に比べて長いイニングを投げられることを重視する方針を提唱。入団後初めて開幕一軍入りを逃し、開幕後も一軍公式戦への登板機会がなかった。すると7月14日に髙田萌生との交換トレードで読売ジャイアンツへ移籍することが発表され、髙田から背番号を引き継ぐ格好で楽天時代に続いて背番号53を着用することとなった。そして移籍4日後の18日に楽天時代を含めてシーズン初の出場選手登録。8日後(22日)の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)で一軍公式戦におけるシーズンおよび移籍後初登板を果たした。その後は28日からは勝ちパターンの一角を担い、左右とも苦手にしない投球で8月27日の対東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)で青木宣親から本塁打を打たれるまで登板15試合連続無失点の活躍を見せた。更に7月、8月、9月と月別防御率0点台を記録する好投を見せていたが、10月18日の対横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)で梶谷隆幸に満塁本塁打を打たれるなどシーズン終盤の10月には月間防御率4点台と調子を落としている。このシーズンは最終的にはチーム2位の44試合に登板し、37.1回を投げて37奪三振、WHIP0.80で1勝1敗2セーブ、自己最多の21ホールドをマークして防御率は1.93だった。また、セ・リーグMVPの投票でも3位票が1票投じられている。オフには2,200万円増の推定年俸7,000万円で契約を更改した。

プロ入り5年目となる2021年は開幕から一軍で登板を重ねる。この年は特に大きな離脱もなく、シーズン通算で55試合に登板。39.0回を投げて47奪三振、WHIP1.41で2勝2敗、チーム2位の20ホールドを記録した。ただし、防御率は3.69と前年より2点近く悪化した他、7月と10月にそれぞれ月間防御率10点台を記録するなど、好不調の波が激しい1年となった。オフには800万円増の推定年俸7,800万円で契約を更改している。

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