守屋 功輝(もりや・こうき)

1993年11月25日生まれ。岡山県倉敷市出身。右投げ右打ち。身長184cm、体重89kg。幼少期からの阪神ファンで小学生時代には、親子で阪神戦のテレビ中継を見ながら、当時阪神の正捕手だった矢野の配球について語り合うことがプロ野球シーズン中の日課になっていた。

サイドスローに近い低めの変則スリークォーターから繰り出す最速154km/hの力のあるストレートが軸。変化球はカーブ、スライダー、チェンジアップ、フォークなどを操り、ゴロアウトが多い。細かい制球がないことが課題。

倉敷市立玉島南小学校4年時に「玉島南少年野球」で野球を始める。小学校5年時には中堅手(控えで出場はしていない)として岡山県大会での準優勝を経験した。

倉敷市立黒崎中学校では同校の軟式野球部に所属。投手に専念した。

高校は岡山県立倉敷工業高校へ進学。同校では1年秋からベンチ入りし、2年秋からエースとなった。ただ、在学中は春夏とも全国大会出場はならなかった。

高校卒業後はHonda鈴鹿へ入社。同社の野球部では1年目から公式戦に登板したものの、2年目は故障や体調不良の影響で登板の機会がなかった。それでも3年目はJABA東京スポニチ大会の対大阪ガス戦で公式戦初先発を記録。更に都市対抗の東海地区予選では、JR東海との東海第4代表決定戦に6回一死二塁から救援で登板すると、打者11人を完璧に抑えた末にチームを本選出場に導いた。チームメイトには濱矢廣大、土肥寛昌がいた。

2014年度のNPBドラフト会議で阪神タイガースから4巡目で指名され、契約金5,000万円、年俸840万円(金額は推定)で入団。背番号は43。

プロ入り1年目となる2015年はフレッシュオールスターゲームのウエスタン・リーグ選抜メンバーに選出されたが、天候不良による中止で登板機会はなかった。また、同リーグ公式戦には15試合に登板。1勝3敗、防御率4.75という成績を残したが、一軍昇格には至らなかった。

2016年はオープン戦で好投を見せ、4月20日の対東京ヤクルトスワローズ戦(阪神甲子園球場)に先発投手としてプロ入り初登板。5回途中10被安打5失点という内容で敗戦投手となったものの、その後も救援で3試合に登板した。また、2年連続でフレッシュオールスターゲームに選出され、7月14日の同ゲーム(倉敷マスカットスタジアム)で9回表に救援登板。地元での凱旋登板を果たした。

2017年はウエスタン・リーグで公式戦41試合に登板。2勝3敗、防御率4.94の成績を残した。一方で一軍公式戦では中継ぎでの1試合の登板にとどまった。また、シーズン終了後に台湾で催されたウインターリーグには故障で出場辞退したチームメイトの望月惇志に代わってNPBウエスタン選抜として出場している。

2018年はウエスタン・リーグ公式戦でチームトップの39試合に登板。2勝2敗2セーブ、防御率3.35という成績で二軍の8年ぶりリーグ制覇、12年ぶり日本一に貢献した。ただ、一軍公式戦では4試合の救援登板にとどまり、防御率も11.57だった。

プロ入り5年目となる2019年は前年に二軍監督を務めた矢野燿大の一軍監督就任に伴い、プロ入り後初めて沖縄宜野座での一軍春季キャンプに参加。キャンプ中の実戦登板やオープン戦を通して好投を続け、開幕一軍入りこそ逃したものの、中継ぎ要員として4月上旬に一軍へ昇格している。更にシーズン初登板であった4月6日の対広島東洋カープ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)から同月19日の対読売ジャイアンツ(巨人)戦(甲子園)まで9試合連続無失点を記録。その後も登板を重ね、5月15日の対巨人戦(東京ドーム)でプロ初勝利をマークした。この年はシーズンを通して一軍に定着し、最終的に自己最多を大きく更新する57試合全てに救援登板。54.0回を投げて53奪三振、WHIP1.15で2勝2敗7ホールド、防御率3.00という成績だった。また、チームの2年ぶりの出場となったクライマックスシリーズでも横浜DeNAベイスターズとの1stステージ(横浜スタジアム)、巨人とのファイナルステージ(東京ドーム)で2試合ずつ救援登板し、いずれも無失点に抑えた。

新型コロナウイルスの影響の影響で開幕が遅れ、短縮シーズンとなった2020年はシーズン開幕を一軍で迎えたが、右肩痛の影響で6月25日に出場選手登録を抹消。一軍復帰は5か月後の11月7日となった。一方で二軍では9試合に登板し、防御率2.16の成績だった。オフの契約更改では減額制限に迫る24%ダウンとなる1,750万円で契約を更改している。

2021年は一軍公式戦2試合の登板に終わり、250万円減の推定年俸1,500万円で契約を更改した。

2022年は一軍戦での登板は無し。すると10月4日に球団から戦力外通告を受けた。

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