杉谷 拳士(すぎや・けんし)

1991年2月4日生まれ。東京都練馬区出身。右投げ両打ち。身長173cm、体重78kg。非常に明るい性格であり、日本ハムのOBで野球解説者の岩本勉から「うるさ杉谷」と呼ばれるほど。2011年の春季キャンプ中には『報道ステーション』(テレビ朝日)内スポーツコーナーの特集企画「規格外」にて、大声を上げて打つという点を当時キャスターの栗山英樹に取り上げられた。2011年まで日本ハムに在籍したダルビッシュ有には、まだ「すぎや」は早いということで「すぎたに」と呼ばれていた。西武ドームでの試合前での打撃練習中に同球場のウグイス嬢からもいじられているが、きっかけは杉谷自身が知人団体の同球場での観戦に際し、リクエストしたことから。父の杉谷満は北海道函館市(旧北海道南茅部町)出身の元プロボクサーで日本フェザー級王座獲得ならびに同級での世界挑戦も経験している。また、伯父の杉谷実も元プロボクサーで日本ジュニアウェルター級王座獲得ならびに同級での世界挑戦も経験し、兄弟日本チャンピオンを達成している。

内外野を守ることのできるユーティリティ性がうり。打撃はスイッチヒッターで特に右では長打の出る打撃、年間で5~10盗塁を望める脚力がウリの選手。

練馬区立大泉第三小学校時代はツバメ野球部でプレー。

練馬区立大泉西中学校時代は東練馬シニアでプレーしていた。

杉谷の一歳上の兄・翔貴も進学していた影響から高校は帝京高校へ進学。1年生からセンスを買われて正遊撃手を任される。2006年夏の第88回選手権大会では準々決勝・智弁和歌山高校戦の大逆転した直後の9回裏に監督の前田三夫から度胸を買われ投手として緊急登板も、先頭打者に死球を与えてしまいわずか1球で降板。結果的に敗戦投手となった。2007年夏には外野のレギュラーに昇格した兄の翔貴と共に連続出場し、前年と同じベスト8に進出。2年時の秋からは主将に就任し、スイッチヒッターへ転向した。東東京大会では優勝した関東一高に敗れ、3年時の甲子園出場はなかった。甲子園には春夏通算で3度出場している。高校通算25本塁打。帝京高校では、1学年上に中村晃と大田阿斗里、1学年下に原口文仁、2学年下には山﨑康晃がいた。

高校卒業後の進路は社会人野球に決まっていたが、プロを諦めきれず日本ハムの入団テストを受けた結果、合格。2008年のNPBドラフト会議で北海道日本ハムファイターズから6位で指名され、契約金1,000万円、年俸450万で契約した。背番号は61。

プロ入り1年目となる2019年は身体づくりを中心に行い、1軍での出場は無かった。

2010年はイースタン・リーグで133安打を打ち、同リーグのシーズン安打記録を12年ぶりに更新。ただ、一軍での出場はこの年もなかった。

2011年は6月29日に一軍戦で2番セカンドとして初先発出場。7月21日のフレッシュオールスターゲームでは優秀選手賞を受賞している。シーズン通算では50試合に出場し、110打席で打率.185、OPS.482の成績だった。また、7盗塁(3盗塁死)も記録している。守備では主に二塁手として出場した。

2012年は6月26日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦に途中出場し、川井貴志からプロ入り初本塁打を記録。この杉谷の本塁打はその試合におけるチーム唯一の安打でもあった。また、8月8日の福岡ソフトバンクホークス戦には同点で迎えた9回裏二死一、二塁に代打で出場し、森福允彦から左中間を割るサヨナラ適時二塁打をマークしている。このシーズンは終盤に離脱した田中賢介に代わって、二塁で西川遥輝と併用され、主に相手の先発が左のときに出場。58試合で133打席に立ち、打率.235、2本塁打12打点、OPS.610を記録した。

プロ入り5年目となる2013年は一軍と二軍を往復することになり、55試合に出場。165打席に立ったが、打率.199、OPS.514で本塁打は0に終わった。また、盗塁も0に終わっている。

2014年は87試合に出場。146打席に立ち、打率は.203、OPSは.591だった。それでも盗塁は自己最多となる11(1盗塁死)を記録している。

2015年は序盤から主力の陽岱鋼がケガで離脱し、陽の穴を埋めるように中堅・右翼を中心に先発出場する機会が増加。交流戦終了時点で規定打席未到達ながら打率.322、盗塁6を記録していた。最終的には規定打席に満たなかったものの、この年は84試合の出場で192打席に立ち、自己キャリアハイの打率.295とOPS.723を記録した。

2016年はこのシーズンより背番号が「61」から「2」へと変更された。ただ、4月10日の楽天戦で右手患部を痛め途中交代。診断の結果、右手有鉤骨骨折が判明し、手術を受けた。その後は約2か月間離脱し、シーズン終了時に翌シーズンはケガをしないことと、二塁手のポジションを田中賢介から勝ち取ることを宣言している。この年は62試合の出場で138打席に立ち、打率.240、OPS.621、23犠打を記録した。

2017年は35試合の出場に終わり、打撃成績は85打席で打率.147、OPS.400の成績だった。また、契約更改時には「恒例の爆笑会見を封印」している。そして10月には結婚を発表。オーストラリアン・ベースボールリーグのブリスベン・バンディッツに参加し、武者修行に励んだ。

プロ入り10年目となる2018年は前年を上回る70試合に出場。130打席で打率.231、OPS.694に留まるも岸孝之からの先頭打者本塁打を含む3本を打ち自身のシーズン最多本塁打を更新。守備でも堅実なプレーを見せたことから年俸アップを勝ち取り、年俸は自身最高額を記録した(このことから、恒例の爆笑会見も復活している)。オフにはオーストラリアで前年参加したブリスベンに合流し、リーグ戦には出場せずに自主トレーニングを実施。ブリスベンでは女子プロ野球選手の山崎まりとも合同トレーニングを行った。

2019年は5月23日の楽天戦(札幌ドーム)で2018年の田中和基(楽天)以来、史上19人目、42度目の左右両打席本塁打を達成。ヒーローインタビューでは、かつてファイターズでもプレーをしてNPBで計9度の左右両打席本塁打を達成しているフェルナンド・セギノールにちなみ、「これからは『スギノール』として頑張ります!」と話した。また、快挙にもかかわらず、2打席ともベンチへ戻るとハイタッチがなかった。このことについては「サイレント、サイレントでただの無視じゃないかな、と思います」と述べている。シーズンでは83試合に出場し、157打席で打率.209、OPS.635を記録。また、本塁打は自己最多となる4本を放った。このもオフの自主トレーニング先のオーストラリア・ブリスベンで年を越し、自主トレーニングの休養日には地元の少年少女を対象とした野球教室も実施している。

新型コロナウイルスの影響で開幕が遅れ、短縮シーズンとなった2020年は1月の鎌ケ谷での自主トレーニング中に報道陣に対して離婚していたことを発表。シーズンではこの年の初めてスタメン起用された6月27日の楽天戦(楽天生命パーク宮城)で第2打席でソロ本塁打を打ち、3年連続となる本塁打を記録。シーズンでは88試合に出場し、161打席で打率.221、OPS.650の成績だった。また、9月に海外FA権を取得したが、権利を行使せずに残留することを決め、500万円増となる推定年俸3,500万円で契約を更改した。

2021年は54試合の出場で93打席に立ち、打率.117、2本塁打、9打点OPS.500に終わった。オフには700万円減となる推定年俸2,800万円で契約を更改している。そしてシーズンの成績が低迷したことから、オフに監督に就任した新庄剛志からバラエティー番組への出演禁止を言い渡され、杉谷本人もこの方針を受け入れることを明らかにした。

2022年は51試合に出場して109打席に立ち、打率.165、3打点、本塁打なしでOPS.414に終わった。するとシーズン終了後に引退を決断し、11月5日の日本代表戦が現役最終試合となった。

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