渡辺 勝(わたなべ・まさる)

1993年10月14日生まれ。神奈川県横浜市港南区出身。右投げ左打ち。身長172cm、体重80kg。現役時代の王貞治氏の師匠として知られる荒川博氏の教えを中学時代に受け、その影響から「名刺1枚で、割り箸10本の束を切ることができる」。

一本足打法が特徴。長打力は特筆するほどでもないが、ボールをじっくり見ていくタイプで選球眼に優れる。ただ、空振りは多め。また、俊足も持ち合わせており、守備も安定している。

横浜市立丸山台中学校時代は戸塚シニアに所属。荒川博が主宰する「荒川道場」で打撃指導を受けていた。この時に紙に受けた教えは紙と携帯電話にメモしてあるという。

高校は東海大相模高校に進学。同校では1年秋から1番打者に定着し、1学年先輩のエース一二三慎太、大城卓三らと共に2年春には第82回選抜高等学校野球大会、2年夏には第92回全国高等学校野球選手権大会に出場している。特に第92回全国高等学校野球選手権大会では打率.429をマークし、準優勝に貢献した。また、決勝戦の興南高校戦では島袋洋奨から2安打を放っている。3年春の第83回選抜高等学校野球大会にも出場し、1番打者として打率.417と活躍。決勝では三好匠、髙城俊人擁する九州国際大付属高校と対戦し、三好から3安打を放って優勝に貢献した。3年夏は神奈川県大会5回戦で乙坂智、近藤健介、柳裕也ら擁する横浜高校に敗れている。甲子園通算で11試合に出場し、打率.408、49打数20安打7打点。同期には菅野剛士、田中俊太がいた。

高校卒業後は東海大学に進学。1年秋から試合に出場し、3年秋と4年春はベストナインを獲得。特に3年秋には打率.391を記録し、首都大学リーグMVPにも輝いた。また、3年時の全日本大学野球選手権大会では優勝を経験している。野球部の同期に中川皓太、吉田侑樹がいた。

2015年に行われたNPBドラフト会議で中日ドラゴンズに育成6巡目で指名され、支度金200万円、年俸300万円で契約。背番号は212。

プロ入り1年目となる2016年は二軍公式戦64試合に出場。1本塁打、21打点、8盗塁、打率.275の成績を残している。

2017年は二軍公式戦において67試合に出場し、3本塁打、16打点、3盗塁、打率.228の成績。10月からは宮崎県で開催されたみやざきフェニックス・リーグにおいて、打率.324、5盗塁の成績。11月からは台湾で開催される2017アジアウインターベースボールリーグにNPBウエスタン選抜として参加し、打率3割越えと5盗塁をマークした。

2018年は1月に結婚。また、シーズン終了後の11月18日に、球団より支配下選手として契約したことが発表された。背番号は31。

2019年は初の開幕一軍入り。シーズン通算では27試合に出場し、29打席に立ってプロ初安打を含む4安打(うち二塁打2本)を記録し、盗塁も1記録した。打率は.148だった。

プロ入り5年目で新型コロナウイルスの影響で開幕が遅れ、短縮シーズンとなった2020年は前年に続き開幕一軍入り。ただ打撃不振に陥り、結果が出なかったため早期に登録を抹消された。その後は二軍で調子を取り戻し、ウエスタン・リーグ首位打者を走っていたこともあって9月下旬に平田良介が故障離脱した際に入れ替わりで一軍へ再昇格。しかし、翌月に体幹のコンディショニング不良を発症したため、登録を抹消され、そのままシーズンを終えた。最終的に一軍では19試合の出場で16打席に立ち、打率.200という結果だったが、二軍では規定打席未到達ながら打率.392、OPS.993という高水準の成績を残した。

2021年は8月17日の広島戦(バンテリンドーム)で2番・左翼としてシーズン初スタメンを記録。2安打2打点と活躍し、8回にはケムナから右翼席へプロ初本塁打を放った。その後もシーズン終了まで一軍に帯同し、最終的には自己最多となる48試合に出場。134打席で打率.210、2本塁打、3盗塁(3盗塁死)、OPS.543をマークした。

2022年は新人の鵜飼航丞やプロ3年目の岡林勇希の台頭もあって出場機会が減少。一軍出場は10試合にとどまり、9打席で打率.222に終わった。すると 10月4日に球団から戦力外通告を受け、その後はドラゴンズベースボールアカデミーの講師に就任し現役を引退したことが公式SNSを通じて判明した。

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